紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 1
日本橋道路元標〜日本橋交差点
Hitosh
日本国道路元標の広場 |
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日本橋のここ日本国道路元標広場に来たのは、これで4度目である。最初は東海道五十三次を下る時、そして中山道六十九次、日光道中(奥州街道)の時、ここから出発した。 今回は江戸時代の五街道の最後の一つとなった甲州道中踏破の第一歩である。甲州道中はここから、甲府を経て中山道の下諏訪宿までの全長55里(約220km)の起伏の多い街道である。ただ、他の四街道に比べると、道筋の整備は良くなかった様だ。参勤交代で利用する大名も信濃の高島藩、高遠藩、飯田藩のわずか3藩のみであった。 |
里程表 日本橋の橋の中央分離帯に埋め込まれている「日本国元標」からの里程表が、東日本と西日本に別れ設置されている。 すでに、京都、下関、九州の大宰府までは踏破しており、現在は旧奥州街道を津軽の三厩まで徒歩の旅を継続中である。 今回から、奥州街道に並行して甲州道中への挑戦である。 |
日本橋 |
日本橋欄干 日本橋は、隅田川と江戸城(現皇居)の外壕とを結ぶ日本橋川に架かる橋で、橋の中央には、全国への道路元標がある。 最初の橋は、慶長8年(1603年)、徳川家康により架設され、日本の中心の橋として「日本橋」と呼ばれるようになった。当時の橋は長さ43間(78.2m)であった。現在の橋は明治44年(1911年)に架設されたもので、花崗岩で出来た欧風アーチ型の重厚な橋となっている。 橋の欄干には、麒麟と獅子のブロンズ像が施されている。 |
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高札場 日本橋を渡ると右手に高札場跡がある。今は日本橋由来の碑が建っている。 説明によると、日本橋付近は富裕豪商が軒を並べ、橋上は貴賎の別なく往来があり、昼夜絶えることがなかったとある。 |
銀座通り、日本橋交差点 |
橋を渡り直進すると、すぐこの日本橋交差点となる。このまま真っ直ぐの道は旧東海道(銀座通り)である。甲州道中はここで、右折し永代通りに入る。 |
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