紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 3
江戸城・大手門
Hitosh
大手門 |
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江戸城の大手門である。大名や役人が本丸に登城、下城する際の正門で、枡形門形式の門となっている。元和6年(1620年)、外様大名の伊達政宗等の外様大名の御手伝普請で築造されたものであった。明暦の大火(1657年)で消失し、再建されたが太平洋戦争の戦火で消失し、現在のものは昭和42年に復元されたものである。 現在は、この門の中の、本丸、二のノ丸、三の丸跡が整備され、皇居東御苑として公開されている。左の堀は桔梗濠である。 |
大手門渡櫓 枡形門の一ノ門と二ノ門の間の石垣で囲まれた枡形の平地部分より内側の二ノ門(本御門)を撮影したものだ。 左右の石垣の上に渡した入母屋造りの渡櫓(わたりやぐら)を持つ大きな櫓門である。 枡形門は、敵の侵入を防ぎ、味方の出撃を容易にする構造となっている。一の門は狭くて多勢では入れず、入ると三方の石垣から弓、鉄砲の攻撃ができるようになっていた。 |
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旧大手門渡櫓の鯱 昭和20年4月の戦災で消失した旧大手門渡櫓の屋根に飾られてあった鯱(しゃち)である。 頭部に、明暦三丁酉と刻まれてある。明暦の大火(1657年)で消失した後、再建時に製作されたものの様だ。 |
同心番所 |
三の丸尚蔵館 大手門の二の門を潜ると、右手に尚蔵館(しょうぞうかん)が建っている。この建物の背後に三の丸があったところだ。 尚蔵館は皇室に代々受け継がれた絵画、書、工芸品等が平成元年、国に寄贈されたのを機に、保存、管理、調査、研究をおこうなう施設として、また一般に展示公開することを目的に建てられたものだ。 丁度、御成婚50年・即位20年記念特別展が開かれていた。結婚式の時の各国からの見事な贈答品なども展示されていた。 |
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同心番所 |
三の門跡 |
大手門を潜り少し進んだところに、江戸時代の同心番所が残されている。ここには同心が詰めていて、主に登城する大名の供の者の監視に当たっていた。番所は、警備の詰所のことで、この同心番所の他に、百人番所、大番所が残されており、城の奥の番所ほど位の上の役人が詰めていた。 大手門より本丸へ向かう道の両側に大きな石で作られた見事な三の門の石垣が残されていた(右写真)。この先に百人番所があるところである。 |
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