紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 7

江戸城・梅林坂〜二の丸庭園



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江戸城

梅林坂
  本丸から二の丸に向かう坂道を梅林坂と呼んでいる。文明10年(1478年)、太田道潅が天神社を祀り、数百株の梅を植えたので梅林坂と名が付いたという。
  現在でも、約50本の紅白の梅が植えられている。
平川門
  梅林坂を下ったところに、平川門(江戸時代は平河門)がある。寛永12年(1635年)に枡形門と番所が築造されたが、関東震災で被害に合い、再建されたものである。
  この門は三の丸の正門で、大奥の女性達の通用門で、御三卿(ごさんぎょう)の登城口でもあった。また、城中の死者や罪人をこの門から出したので不浄門とも呼ばれた。


二の丸庭園

  二の丸庭園は小堀遠州(1579−1647年)の作庭による池泉庭園であったが、後に家光が本丸御殿に準じた規模の御殿と庭園に作り直させ、世継竹千代(4代将軍家綱)の居所とした。
  その後二の丸御殿は、前将軍の側室が晩年を過ごす場所となった。慶応3年(1867年)、江戸城開城の直前に全焼し、以後そのままになっていた。

諏訪の茶屋
  江戸時代は吹上御苑にあったが、明治45年に再建されたもので、皇居東御苑の整備にあたり此処二ノ丸庭園に移築された様だ。明治期の優雅な外観を持つ茶室である。
  この付近は全国「都道府県の木」が植えられているところである。

  現在の二の丸庭園は、昭和43年に、家光による再建当時の「二之丸御絵図」を参考にして、築山泉水式の回遊庭園が復元されたものである。
  二の丸庭園を往時を偲びながらゆっくり散策した後、再度百人番所前より大手門に戻る。大分寄り道したが、旧甲州道中に復帰である。

(東京都千代田区千代田)
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