紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 8

日比谷通り〜和田倉門橋



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江戸


日比谷通り

  甲州道中に復帰する。和田倉濠に沿った道は拡幅され日比谷通り(国道1号線)となっているが、旧甲州街道であった道だ。道の左側は丸の内である。

  此の辺にはかつて目安箱で知られた幕府評定所や伝奏屋敷があった処である。
幕府の最高裁判所であった評定所は、大名・旗本に関わる事件や、3奉行(町、勘定、寺社)の権限を越える事件を扱っていた。
伝奏屋敷は、幕府と朝廷の間を斡旋する公家の伝奏衆が、勅使・院使として江戸下向した際に使用する宿泊所であった。

  甲州道中はここから江戸城の濠沿いを半周して、半蔵門前から西に真っ直ぐ進み、次の宿場・内藤新宿に向かっている。

銀行会館
  街道左側の三角屋根の建物は、(社)東京銀行協会、銀行倶楽部で、銀行関係者の会員制クラブとして今も使われている。
  明治32年に出来た銀行倶楽部が、大正5年に此処に移転したもので、赤レンガの洋館は当時のものである。


和田倉門橋

  江戸城守衛と為に築かれた内郭門の一つ、和田倉門である。門は枡形形式であった。
手前は和田倉濠である。ここに和田蔵と言う大きな御蔵が2棟あったので和田倉門と呼ぶようになったようだ。又家康がこの地に入ったとき、此処に和田倉と言う村落があったという説もある。

  和田倉門には鉄砲10挺、弓5張、長柄10筋、持筒2挺、持弓1組が常備されていた。警備は譜代大名2〜3万石のものが担当していた。

和田倉門橋
  和田倉門橋である。江戸時代の甲州道中は、日本橋を出て、外堀に架かる呉服橋を渡ると、真っ直ぐこの和田倉門橋の所まで来た。そして、ここで堀沿いを左(南)に向かっていた。

和田倉噴水公園

  和田倉門橋を渡り、門の中に入ってみた。中は広い公園となって公開されている。
昭和36年、皇太子殿下明仁親王(現天皇陛下)の御成婚を記念して造られた公園である。
また、現皇太子殿下の御成婚記念で、平成7年にこの噴水公園が整備されている。

(東京都千代田区千代田)
0906/0908
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日本橋〜四谷見附




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