紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 11

桜田門〜皇居外苑



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江戸城

日比谷濠
  日比谷見附のある日比谷公園から、再び日比谷濠に戻る。左側(対岸)が現皇居外苑である。
  この濠に沿って少し旧街道(現国道1号線)を南進すると、祝田橋、凱旋濠、そして桜田門となる。


桜田門

桜田門の二の門である。石垣の上に渡り櫓を設けた重厚な門となっている。
日本一の規模とのことだ。

家康の関東入封時は、小田原口(門)と呼ばれていた。
寛永13年の西の丸造成に伴い、現在の枡形門となった。
そして、古代から此の辺は桜田郷と呼ばれていたことから、
三の丸の桜田門(現桔梗門)に対し、外桜田門と名付けられた。

現在の門は寛文3年(1663年)に再建されたもので
現在では、自由に出入りできる旧江戸城門の一つとなっている。
国の重要文化財に指定されている。

桜田門一の門
  下の写真が外桜田門(現桜田門)入口で、枡形門の一の門である。この写真の手前側が内堀通り(旧甲州道中)である。
  万延元年(1860年)の桜田門外の変はこの内堀通り路上で起こっている。安政の大獄に憤った水戸浪士ら18名(内1人は薩摩藩浪士)が、桜田門にさしかかった井伊直弼を襲った事件だ。  


皇居外苑(西の丸下)土塁

桜田門の楼門となっている二の門を潜ると右側に土塁が出来ている。
この土塁の裏が凱旋濠となっており、濠側は石垣となっている。

凱旋濠は、明治39年(1906年)に、
日露戦争を記念して皇居外苑を横断する凱旋道路が造られた。
その時、外苑南の石垣の一部を崩して祝田口がを造り、
祝田橋(土橋)によって日比谷濠が東西に分断され、
この土橋を境にして西側から桜田門までを凱旋濠と名付けた。

広い皇居外苑の南端に辺り、ベンチやトイレが設置してあり、
ジョギングやウォーキング・グループの待ち合わせ場所となっている。



皇居外苑(西の丸下)

皇居外苑は、正しくは国民公園皇居外苑と云い、昭和24年に一般に開放され、
昭和38年に文化財保護法による特別史跡に指定されている。

江戸時代は西の丸下と呼ばれ、江戸城の巽(たつみ、南東)を防備する郭として、
日比谷入江を埋め立てられ築造されたところだ。
出入り口は、東の丸の内方面は和田倉門、馬場先門があり、
南の日比谷側は外桜田門(現桜田門)であった。

明治維新後は、この西の丸下に新政府の施設が設けられ、
祝田町、宝田町、元千代田町の町名が付けれていた。


(東京都千代田区千代田)
0906/0908
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