紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 15

千鳥ヶ淵公園~麹町



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江戸


千鳥ヶ淵公園
自由の群像
  半蔵門の北側の半蔵濠沿いには、桜で知られた千鳥ヶ淵公園がある。大正8年に開園した公園である。
  写真は園内にある自由の群像である。日本の新聞事業先覚者20名を顕彰し、昭和30年に建立したとある。男性3体は「自由、自尊、進取」を現していると言う。作者は、広島平和記念公園の「原爆の子の像」と同じく菊地一男氏である。
麹町高等小学校校舎碑
  麹町高等小学校の校舎が此処にあったという。校歌が刻まれてあった。
  そして、奥には大正13年開校の第一東京市立中学校発祥之地碑があった。後の九段中学、現在の都立九段高校の前身である。
  この公園で持参のサンドイッチとお握りで昼食を摂る。都心故、どこかにレストラン等があるだろうと思ったが、街道筋には適当な店が無く、昼食は持参して正解であった。  
半蔵門交差点
  千鳥ヶ淵公園を出て、街道(現新宿通り、国道20号線)に復帰する。半蔵門交差点の左角にはFM東京とワコールがあった。
  FM東京の前身は、日本初の民法FM局であった東海大学の実験局「FM東海」である。開設は昭和35年であった。
  学生時代、FM専用の大きなアンテナを買い、屋上に自分で設置した思い出がある。当時は音質が素晴らしく、夢のような放送であった。  


新宿通り、麹町1丁目

半蔵門の交差点から街道は西に直角に方向を変え、麹町に入る。
現在は新宿通り(国道20号線)と呼ばれている道である。

江戸時代の麹町は、この新宿通りの両側の町屋を主体に、半蔵門から四谷見附、
宿場・内藤新宿まで、甲州道中沿いに帯状の街道街が続いていた。
町名の麹町は、武蔵国国府への道、国府路(こうじ)の変え字とのこと。

この街道沿いの町屋の多くは、町店(まちだな)となっており、
背後にある旗本屋敷の人が得意先であった。
注文取りによる商いであったので、店前売りの商店街とは趣が違った店が多かったという。

しかし、今はビル街となり、昔の面影は全く無い。また、この街道に沿って
町屋の背後に繫がっていた旗本屋敷は、高級住宅になり、今はマンション街となっている。



麹町6丁目

麹町6丁目までくると、今までのビル街から一転して、商店が目に付いた。
街道沿いに小公園(仲良し公園)があり、ここで腰を下ろし休憩している人が何人かいた。

此処まで来ると四谷見附はすぐ先(写真左前方)で、
JR中央本線の四ッ谷駅のあるところである。


(東京都千代田区麹町)
0906/0908
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歩行略図
日本橋~四谷見附




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