紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 16
四谷見附~外濠公園
Hitosh
麹町・心法寺 |
麹町6丁目の交差点を過ぎて、右側に心法寺がある。天正18年(1590年)家康の関東移封と共に、三河より江戸に来た然翁聖山和尚が、慶長2年(1597年)に開山した。 当初は町人の為の寺であったが、場所柄、武家の檀家も増えて来た様だ。 |
江戸時代は心法寺の閻魔様で有名だったようだが、 東京大空襲で消失してしまったとのこと。 境内には、幕末渡米使節の副使であった村垣淡路守範正、 享保13(1728年)に見沼代用水を造った幕府役人井沢弥惣兵衛、 「三縁山志」を書いた竹尾善筑等の墓が残されている。 |
四谷駅前交差点 |
四谷駅前の交差点が目の前に見えてきた。 外濠のあったところで、四谷見附橋を渡ると千代田区から新宿区に入るところだ。 現在は、この四谷見附橋の下は濠では無く、中央本線が走っている。 写真の右端の建物がJR中央線の四ッ谷駅である。かつての四谷見附のあった処だ。 |
四谷見附跡 |
左端が四ッ谷駅で、此の辺に四谷見附があった。 四谷見附は外麹町口、四谷口門、山手御門とも呼ばれており、 江戸城の西の防御の為の城門であった。 寛永13年(1636年)、長門藩主毛利秀就によって城門石垣が作られ、 寛永16年(1639年)に門が造られた。 その構造は、現在の四谷見附橋に高麗門を置き、 右折する位置に渡櫓を配置した枡形門であった。 しかし、明治5年に渡櫓は撤廃され、明治32年に枡形石垣の多くが撤去され、 現在はその一部しか残されていない。 |
四谷見附石垣 四ッ谷駅の右(北)側に石垣の一部が残されている。この背後左側は外濠のあった処で、現在はJR中央本線が走っている。 |
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四谷・外濠公園 江戸城総構えの外周をなす外濠の土手は立ち入り禁止であったが、昭和2年に土手公園として開放された。 現在は範囲をさらに拡大して外濠公園となっている。桜の名所となっている快適な公園であった。 |
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