紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 17
円通寺坂〜内藤新宿入口
Hitosh
四谷 |
円通寺坂 | 笹寺(長善寺) |
四谷見附を抜けると千代田区から新宿区となる。 四谷2丁目と3丁目の境界の坂道が円通寺坂で、坂の途中右側に円通寺がある。 この坂道の先は、寺が集中して寺町となっているところだ。 手元の地図でも20以上あり、四谷18ヶ町の鎮守である須賀神社や、 於岩(おいわ)稲荷のあるところだ。 於岩稲荷は、東海道四谷怪談で御馴染みのお岩さんでは無く 実在の武家(田宮家)の娘於岩のことだ。 家計の苦しい家を支える為に商家に働きに出て、田宮家を再興させたという。 その於岩が熱心に信仰していた社が評判になり、 何時の頃か於岩稲荷と呼ばれるようになったようだ。 歌舞伎の四谷怪談の方は、作者の鶴屋南北がこの知名度の高い於岩の名前を 借用した様だ。 甲州道中(現新宿通り)をさらに進み、四谷4丁目に入ると左側に笹寺(長善寺)がある。 天正3年(1575年)の開山と伝えられ、秀忠が鷹狩りの途中に立ち寄り、 熊笹が生い茂っているのを見て、笹寺と名付けたという。 境内には寛永元年(1624年)、横綱明石志賀之助が江戸で初めて 相撲興行を行ったのを記念する「四谷勧進角力始祖」の石碑が建っている。 |
四谷4丁目交差点 |
四谷4丁目の交差点である。左側の道は、現在の国道20号線(甲州街道)で、右側のビルとビルの間の道が甲州道中(新宿通り)である。 この少し先に四谷大木戸があり、江戸の出口であった。 左の木立は、新宿御苑で、江戸時代の信州高遠藩内藤家の下屋敷があったところである。 |
内藤新宿入口 |
新宿1丁目交差点 | 内藤新宿開設300年記念碑 |
新宿一丁目の交差点で、此処が甲州道中最初の宿場・内藤新宿であった。 内藤家の甲州道中沿いの一部が用地として割かれ、 宿場が造られた為に、内藤新宿と呼ばれるようになった。 この写真の左手先が元内藤家のあった新宿御苑である。 右の写真は「内藤新宿開設300年記念碑」の説明文で、左端に当時の絵が載せられていた。 説明によると、元禄11年(1698年)、浅草阿部川町の名主・高松喜兵衛らの願により、 ここから新宿3丁目交差点付近までの約1kmに、 新たな宿場として「内藤新宿」が開設された。 この宿場は享保3年(1718年)に風紀紊乱の廉(かど)で一度廃止されたが、 54年後の明和9年(1772年)に再び再興されている。 以降、甲州・青梅両街道が交差する交通の要衝として、 また文化と娯楽の町として繁栄を続け、現在に到っている。 |
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