紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 19

大宗寺〜新宿追分



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内藤新宿


大宗寺
大宗寺正面
  新宿2丁目に入ると、右手に大宗寺(だいそうじ)がある。内藤新宿で江戸時代の数少ない遺構のあるところだ。丁度此の辺が宿場の中心仲町で、門前町も出来ていたという。
  大宗寺は、慶長年間初頭(1596年頃)に僧太宗の開いた草庵を前身とした寺で、信州高遠藩主内藤家の菩提寺であった。
境内左奥に、今も内藤正勝の墓(内藤家墓所)が残されている。  
地蔵菩薩坐像
  境内右手にある銅造地蔵菩薩坐像で、江戸時代前期に、江戸の出入り口6ヶ所に造られた江戸六地蔵のひとつである。
  正徳2年(1712年)に江戸六地蔵の3番目として甲州道中沿いに建立されたもので、作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。
  この地蔵菩薩と、境内にある都内最大の閻魔像や奪衣婆(だつえば)像等があり、「内藤新宿の閻魔さま」、「しょうづかのばあさん」と呼ばれ、江戸庶民に親しまれていた由。


追分だんご

街道沿いに、今でも追分だんごの看板を立てた店があった。
大田道潅が江戸城を構築中の頃、鷹狩りの帰途、通りかかった道潅に
地元の名族がだんごを献上した。
道潅はその味に心打たれ、ここを通るたびに、このだんごを所望するようになった。
道潅亡き後、道潅を偲び、「道潅だんご」と名付けられたが、
いつか追分だんごと呼ばれるようになった由。
 
現在の店は樺ヌ分だんご本舗で、戦後に出来た和菓子屋であるが、
やはり、追分だんごが看板商品とか。
赤餡、白餡、茶餡、焼団子等があり、柳の枝の様に餡が垂れ下がった形が特徴とのこと。



新宿追分

新宿追分で現在の新宿3丁目交差点である。
正面のデパート伊勢丹の前の通りが青梅街道で、手前左の道が奥州道中(現明治通り)である。
この追分までが、甲州街道最初の宿場・内藤新宿であった。

なお、伊勢丹の前身は、神田にあった伊勢屋丹治呉服店で、
百貨店として昭和8年に本店をここにオープンさせている老舗である。

新宿追分交番
  交差点に面して、そのものずばりの追分交番があるのには驚いた。四谷警察署の管轄で、丁度青梅街道と甲州道中(現明治通り)の交差点にある。
  ここで甲州道中は、左折して明治通りを進み、現甲州街道(国道20号線)に合流する。

(東京都新宿区新宿2丁目、3丁目)
0906/0909
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