紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 35

調布市・西つつじヶ丘〜菊野台



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調布市


金龍寺

調布市の西つつじヶ丘2丁目、旧街道右側にある大雲山金龍寺。

曹洞宗で、建永元年(1206年)の創建で、
本山は永平寺総持寺である。

旧金子村の寺院で、義経一行が陸奥に落ちる時に立ち寄り、
ここで前途の無事を祈ったと伝えられている。

又、境内にある閻魔十王の石像は、源頼朝の祈願によるもので、
今でも十王街道(川越から鎌倉街道に出る拠点)の名称が残っている。

慶安2年(1649年)、家光が狩猟の途次、
ここで休憩し「深谷山」の号を附し、寺領13石4斗の朱印状を与えている。

なお、寛文5年の再建の時に、山号を現在の大雲山に改めている。
写真の赤い山門は当時からあるものとか。



甲州街道、西つつじヶ丘

甲州街道に復帰する。
見事な欅並木の続くところだ。

前方は、調布市西つつじヶ丘交差点である。



厳島神社参道

旧甲州街道右側の厳島神社参道碑。

この先に旧金子村の鎮守であった厳島神社がある。
湧水でできた池の畔に弁天祠を祀ったのが始まり。

当神社には「経水山」と墨書された木額が残されており、
裏書には文政12年(1829年)、金子村氏子中と記されている。

なお「経水山」は、義経一行が陸奥に落ちる途中、
ここに立ち寄った際、弁慶がこの池の水を用い、
大般若経を書写したとの伝説に由来するとのことだ。


菊野台地蔵尊
  街道左側にある菊野台地蔵菩薩立像で、妙円(みょうえん)地蔵と呼ばれている。
  調布市の有形民俗文化財に指定されている。  

妙円尼は、俗名を熊といい、
武蔵国多摩郡酒井(境)村の六右衛門の長女として生まれ、
金子村(現西つつじヶ丘、菊野台)の新助に嫁いだが、
夫が若死にし、その弟と再婚した。

しかし、恵まれない境遇からか、両眼を失明してしまう。
これを機に、深大寺より寿量妙円という法号をもらい尼となる。

路傍で鐘を鳴らし念仏を唱え、集まった浄財で
文化2年(1805年)に地蔵を作り、
村人たちの安穏を祈り、念仏往生を遂げたようだ。

以後、この地蔵は妙円地蔵と呼ばれるようになった。

妙円がたどった運命は、
滝沢馬琴の「玄同放言」に詳しく紹介され、一躍有名になった。

なお、妙円の墓は深大寺の三味堂に残されている。



柴崎駅口

調布市菊野台にある、京王線の柴崎駅入口である。

柴崎駅は大正2年に開業した駅で、新宿から13.3kmだ。
駅近くに柴山があったことから柴崎と名付けられた。

ここは、学生時代に友人T氏の家があり、
良く来たことがあるが、周辺は畑で静かなところであった。

マンドリンが上手い友人で、碁敵でもあった。
夜の更けるのも厭わず、良く碁を打ったものだ。


(東京都調布市 西つつじヶ丘、菊野台、柴崎)
0909/1605

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歩行略図
つつじヶ丘駅〜布田5宿〜東府中駅




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