紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 37
調布市・国領町〜布田
Hitosh
調布市
布田駅前 |
旧甲州街道の京王線布田駅前交差点である。 布田駅となっているが、地名は調布市国領町5丁目だ。 この辺が国領宿の中心であったのであろう。 この交差点右手には常性寺がある。 国領は、所謂布田5宿の内の最初の宿場である。 布田5宿は、 国領、下布田、上布田、下石原、上石原の5宿を合わせて 1宿の機能を持っていた。 5宿は、月に6日ごとに交代する当番制であった。 ただ、旅人の多くは、ここの宿場を素通りして、 次の府中宿まで足を延ばした為、 本陣・脇本陣もなくひっそりした宿場であったようだ。 因みに、国領宿は旅籠1、問屋場1、総家数61軒の宿場であった。 |
常性寺 |
甲州街道右側にある常性寺。 地名は調布市国領である。 創建は鎌倉時代、医王山長楽院常性寺で、真言宗の寺院だ。 本堂(薬師堂)、不動堂、地蔵堂があり、 不動堂は、調布の不動尊として知られているところである。 |
常性寺境内説明板 |
常性寺境内にある、近藤勇と新選組ゆかりの地の説明板。 説明によるとl、境内には、 天然理心流三代近藤周助の弟子であった原田忠司の墓がある。 近藤勇の兄弟子に当たり、国領宿の名主に見込まれて、 原田道場を開いた人物で、勇の才能を見抜き、 師匠の周助に引き合わせたとのことだ。 |
蓮慶寺山門 |
調布市布田に入ると、左側に蓮慶寺がある。 日蓮宗大本山池上本門寺の直末である。 慶長3年、北條12将の一人、 布田の領主であった中将出羽守の開基とのことだ。 江戸時代は徳川家光より、 慶安4年に御朱印地10石9斗が下賜され、 御朱印寺として、赤門設立と住職の乗駕が許されてきた。 写真は蓮慶寺山門で、往時の冠木門が残されている。 |
蓮慶寺本堂 |
蓮慶寺本堂。 この本堂は、寛政5年(1793年)に再建されたもので、 調布市指定文化財に指定されている。 書院造り風の建物で、背面に仏壇と位牌檀を接続している。 昭和42年、老朽化により改修されている。 |
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