紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 38
調布市・布田〜下石原
Hitosh
調布市
調布駅口 |
この先の信号を左折すると京王線の調布駅だ。 住所は調布市布田5丁目である。 新宿より15.5km、大正2年に開業した駅で、 ここから調布と相模原市橋本駅を結ぶ 京王相模原線が分岐している。 この辺が旧甲州街道の布田五宿の一つ 上布田宿のあったところである。 |
上布田宿 |
街道右側にある上布田宿の案内板だ。 「上布田宿 近藤勇と新選組ゆかりの人 伊東玄朴」 と書かれた標識が建っていた。 伊東玄朴は蘭方医で、シーボルトの弟子で幕府奥医師となった人。 近藤周助の弟子であった勇が、病に罹り症状が悪化した時に、 診断、投薬して本復させたという。 |
布田天神社参道 |
街道右側の布田天神社参道。 布田天神社は、調布市長府ヶ丘にあり、 延喜式神名帳に載っている多摩でも有数の古社である。 甲州道中、布田五宿の総鎮守で、 この布田天神社の前は、市場が開かれ賑わっていたようだ。 |
常満寺 |
調布市下石原に入ると、街道左側にある常演寺。 神向山花光院と号する天台宗の寺院だ。 多摩川三十三ヶ所観音の霊場17番となっている。 新編武蔵国風土記によると、開山は不明であるが 中興した良賢が延宝7年(1679年)に死亡したとある。 なお、当山の山号の神向山は、 旧甲州街道を隔てて反対側に八幡神社があったことによる。 |
源正寺本堂 |
旧街道を進むと左側に臨濟宗建長寺派寺院の金剛山源正寺がある。 地名は調布市下石原だ。 新編武蔵国風土記によると、開山は天文24年(1555年)となっている。 開基は太田対馬守盛久で、 大田道灌の弟資忠が当地石原に在陣中に石原出雲守の娘を娶り、 その子孫が石原に住んで大田対島守盛久を名乗っていたとのことだ。 |
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