紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 40
調布市・上石原〜飛田給
Hitosh
調布市
近藤勇坐像 |
調布市上石原の西光寺山門脇に大きな近藤勇坐像がある。 平成13年、地元の新選組研究団体 「近藤勇と新選組の会」によって建立されたものだ。 慶応4年(1868年)、 近藤勇が甲陽鎮部隊を率いてこの地より甲府に向かった。 その時、氏神である上石原若宮八幡宮に戦勝を祈願し、 西光寺境内で休息、門前の名主中村勘六家の歓待を受けた。 |
西光寺 |
長谷山聖天院西光観音堂、そして右側が本堂である。 上石原宿の中心部にあり、 家光より慶安2年(1649年)に14石2斗の御朱印状を賜っている。 本尊は阿弥陀如来三尊だ。 開山は応永2年(1396年)である。 |
上石原旧家 |
この辺が布田五宿の上石原宿の出口付近。 大きな敷地の門構えの旧家が点在するところである。 |
飛田給駅入口 |
布田五宿の上石原を抜けると調布市飛田給(とびたきゅう)に入る。 飛田某という荘園領主により給された「給田地」であったため 飛田給の名付けられた。 また、他説でjは、武蔵国の悲田院の給田地であることから、 悲田給(ひでんきゅう)と呼ばれていたが、飛田給となり、 読みも「とびたきゅう」となったという説もあるようだ。 この交差点を左に曲がったところの京王線の飛田給駅がある。 住所は調布市飛田給で、大正5年開業、新宿より17.7kmの駅である。 |
飛田給瑠璃光寺薬師堂 |
調布市飛給田、街道左側にある瑠璃光寺薬師堂。 ここの薬師如来は、貞享3年(1686年)に元仙台藩医師で、 仏門に帰依した松前意仙が彫ったとのことだ。 境内には、その松前意仙の墓(行人塚)があり、 調布市の史跡に指定されている。 なお、意仙は自ら石造の薬師如来像を彫り、 大願成就の後、薬師像の傍に穴を掘り、 中に入って、鉦をたたきながら、お経を唱えて、 そのまま入定(死去)したと伝えられている。 |
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