紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 54
国立市・青柳〜立川市・錦町
Hitosh
国立市
青柳馬頭観世音 |
国立市青柳福祉センター前にある馬頭観世音。 裏面には嘉永2年(1849年)と刻まれてあった。 他の街道では多く現存する馬頭観世音は、 甲州道中では珍しく、国立市登録有形文化財に指定されている。 |
みのわ通り |
旧甲州街道、国立市青柳のみのわ通交差点より撮影したものだ。 暗渠となった緑川の上の道である。 緑川は立川段丘の崖下から多摩川に注ぐ川だ。 なお、みのわは、かつてこの辺が蓑輪と呼ばれていた事による。 |
国立市、立川市境 |
国立市青柳から立川市錦町に変わる市境である。 江戸時代の立川は、甲州街道、五日市街道沿いの村落に過ぎなかった。 今の繁栄が信じられないくらいである。 なお、立川の地名は、立の河が転訛したとの説が有力だ。 国府のあった府中より見て、東西に多摩の横山が連なり、 その縦方向(南北)に多摩川が流れていたので、 縦の河、立ての河と呼んでいたようだ。 |
至誠学舎記念碑 |
街道左側には、児童福祉施設や高齢者介護福祉施設等を経営する 社会福祉法人至誠学舎の施設が連なっていた。 その一画にある記念碑。 右側石碑は、至誠学舎の初代理事長である稲永久一郎の頌徳碑で、 左側は 「まことの心の はたらきは 人の心を うごかし 天に通ず 稲永久一郎」 と刻まれてあった。 |
稲永久一郎頌徳碑 |
至誠学舎初代理事長である稲永久一郎の頌徳碑。 大正14年、少年保護事業団体「至誠学舎」設立し、 昭和17年財団法人「至誠学舎」を設立し初代理事長に就任した。 その後、社会福祉関係法による事業を展開し現在に至るとのこと。 |
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