紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 92
相模原、相模湖~相模湖駅
Hitosh
相模原市
与瀬、相模湖 |
旧甲州街道、与瀬宿に入ると、相模湖(旧相模川)沿いの道となる。 与瀬宿は、相模川に面し木材の川流しや舟運で成り立っていたが、 かつての宿場と街道は相模湖の湖底に沈んでしまった。 旧相模川は、日中戦争が激化するなかで、 相模ダムで堰き止められ、その結果できたのがこの相模湖だ。 日本最初の人工湖で、 都心から近いこともあり観光地として賑わうようになった。 東京オリンピックではカヌーの競技場となった。 |
御供岩 |
相模湖八景の一つ、御供岩。 旧甲州街道、与瀬宿の旧相模川沿いにあったが、 相模湖の湖底になるため、ここに移された。 里の二人の若者が相模川で漁をしているとき、 網の中に御神体が入っていたので引き上げ、 この二瀬越という岩の上に乗せたことから、 「御供石」と呼ばれるようになった。 |
相模湖八景御供岩の由来 |
御供岩の傍にある説明板。 里の若者二人は、最初、 御神体を村の中段に祠を作って祀ったが祟りが続いた。 不浄の地に祀ったためと、 現在の与瀬神社に安置したところ祟りが収まり、 その後は霊験あらたかな神として参詣人が集まるようになった。 与瀬神社の例大祭にはこの「御供岩」でも、神事が行われている。 |
相模湖 |
相模湖は、5万キロワットの電力と、 横浜・川崎の両市への上水が供給され、 相模原一帯の農業用水として利用されている。 今回は、ここで街道歩きを中断しJR相模湖駅に向かう。 |
JR相模湖駅 |
この駅は思い出多い、懐かしい駅である。 若い時のデートコースであり、 又ハイキングの際の中継地でもあった。 なお、JR中央本線相模湖駅は、 開業明治34年、東京より62.6kmだ。 なお、開業当時は宿場名を取り、与瀬駅であった。 |
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