紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 21
新宿駅南口〜西新宿
Hitosh
新宿駅南口・甲州道中 |
新宿駅南口で、その前が甲州街道(国道20号線)である。 今回は此処から、朝の7:20、甲州道中歩きの再開である。 写真の右端には蓑笠を背に、木杖を突いたウォーカーが、 日本橋方向に向かって足早に歩いていた。 |
新宿駅西口 JR山手線等の陸橋を下り、最初の信号を右折すると新宿駅西口である。左は千駄ヶ谷方面だ。 右正面に副都心新宿の高層ビルが見えてきた。 |
西新宿超高層ビル群 |
右手に副都心・西新宿の超高層ビル群がある。 と言っても、今は都庁がここに移転し、新都心とも呼ばれている。 西新宿の名の由来は、新宿地区の西に位置することであるが、 この町名は1970年の住居表示からと新しい。 それ以前は、西新宿の大半は角筈(つのはず)であった。 今でも、バス停や陸橋名などに残されている。 富士山登山の時、夜明けと共に山頂からこの副都心ビルが見えた時は、 驚き、感動したことを思い出した。 |
玉川上水跡 |
左側は街路樹の生い茂る、快適な歩道となっている。 かつての玉川上水のあったところだ。 玉川上水は、江戸時代の承応3年(1654年)に開削された上水路である。 四谷御上水とも言われ、神田上水、千川上水と共に江戸3大上水の一つであった。 羽村堰(羽村市)で、多摩川より取水し、武蔵野台地の拝島、砂川、小金井、三鷹、 下高井戸を通って四谷大木戸まで水路が開削され、その先は暗渠となり、 江戸城の虎ノ門前まで導水したもので、全長43kmであった。 明治31年、杉並区和泉町から現西新宿の淀橋浄水場の間に新水路が開削された為、 和泉町から四谷大木戸までの下流部は導水路としての役目を終えた。 現在は、大部分が暗渠化され、公園や道路となっている。 甲州道中は、途中までは、この玉川上水沿いの道であった。 なお、淀橋浄水場跡が、現在の新都心・高層ビル街となっている。 今でこそ全国展開しているが、「ヨドバシカメラ」(旧淀橋写真商会)は 新宿駅西口の駅前にある小さな店であったが、品揃えが豊富で、値段が安く、 若い頃から良く利用した店であった。 |
玉川上水跡モニュメント 玉川上水の跡に、東京都水道局が建立したモニュメントである。 明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた、玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとして、当時の煉瓦を一部使用して、ほぼ原寸大で再現したものである。 |
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