紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 24

渋谷・初台〜幡ヶ谷



Hitosh



渋谷

玉川上水旧水路緑道
  初台の玉川上水跡は、緑道となっている。正しくは、玉川上水旧水路緑道である。ベンチや遊具、トイレ等があり、都会のオアシスであった。
  この辺は、近くに妹夫婦が住んでいたので、何回か来たことがあるところである。  
子育地蔵
  初台から幡ヶ谷地区に入ると、左側に子育地蔵尊があった。と言っても、イメージが違い、地元の人達の浄財により建てられた建物の中(中央の赤い提灯)となっている。
  説明板によると、子育地蔵は江戸時代貞享3年(1686年)の建立で、元はこの前方にお堂があったが、甲州街道の拡幅で、現在の位置に移動しているとのこと。
幡ヶ谷駅入口
  左手に京王新線の幡ヶ谷駅入口ある。駅は甲州街道の地下となっている。
  幡ヶ谷は、後三年の役に出征する途中の源義家が源氏の白旗を、この地にあった池(洗旗池、昭和38年に埋め立てられた)で洗ったという伝承によるとのこと。

牛窪地蔵尊、道供養塔

右から2つ目は全国でも珍しい江戸時代の道供養塔である。
橋供養と同じように、道路自体を供養して、報恩感謝の念を捧げることにより、
交通安全を祈ろうとするものだ。

この少し先が甲州道中と中野通りの追分となっている。
中野通りの延長は鎌倉街道の一部で、この供養碑は鎌倉街道に面して建てられてあった。

道供養塔の左は享保5年(1720年)と読める庚申塔で、左端は牛窪地蔵である。

牛窪地蔵は正徳元年(1711年)に建立されたものである。
ここが極悪人の刑場として、牛を使って最も厳しい牛裂きの刑という
両足から股を引き裂く刑場の地であり、また窪地であったことから牛窪となったようだ

疫病が流行った時、これが罪人の祟りだと伝えられ、子供の安泰を守り、
苦難の時の身代わり地蔵として、この淋しい土地に地蔵尊を祀り
霊を慰める為に建てられた。

中野通り
 中野通りと甲州街道の追分である。かつては鎌倉街道であった。今では、殆ど感じられないが、窪地で、牛窪と呼ばれていたところである。

(東京都渋谷区初台、幡ヶ谷)
0909/0911
写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)又は「画像の表示」(右クリック)を行うと表示されます

前へ 目次 次へ


歩行略図
JR新宿駅南口〜下高井戸




街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system