紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 28

杉並・永福〜下高井戸



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杉並・永福


永福・寺町e

玉川上水に沿って、多くの寺院が並んでいるところだ。
殆どが、明治以降の区画整理や大正12年の関東大震災の後に、
東京からここに移転してきた寺である。

甲州街道に並行した路地で、甲州街道の喧騒さが嘘の様な、
閑静な通りとなっている。

法照寺
  相州鎌倉で寛永5年(1628年)に開基、天正18年(1590年)に湯島へ移転し、その後、浜町御坊(現築地本願寺)の寺中寺となった。
  関東大震災の後の区画整理で、昭和3年に、ここに移転した寺である。墓地には、歌舞伎の荒事で有名な初代市川団蔵(元文5年、1740年歿)や囃子方で鼓の名手、寶山左衛門(明治43年歿)等の墓がある。


栖岸院e

栖岸院は、元は三河国村高庄(現安城市)にあった長福寺で、
天正19年(1591年)江戸麹町に移転した。
元和7年(1621年)老中の安藤重信が葬られ、以来安藤家の菩提寺となった。
寺名の栖岸院は、安藤重信の法名による。

江戸時代の当寺は、住職が将軍に単独で拝謁出来る「独礼の寺格」を許されていた。
関東大震災の後の区画整理で、大正9年当地に移転した。


永昌寺庚申塔と地蔵塔
  永昌寺境内にある、4基の庚申塔と2基の地蔵塔である。永昌寺は、寛永元年(1624年)江戸四谷で開創、明治43年に下高井戸にあった同宗の永泉寺を合併し、ここに移転した寺である。



下高井戸

龍泉寺・北向地蔵
杉並木永福から下高井戸に入ると右側に龍泉寺がある。

写真は境内にある六地蔵と、北向地蔵と呼ばれる高さ1mの地蔵尊(左端)である。
江戸時代から熱病などの難病に霊験あらたかと信仰を集めていたようだ。

龍泉寺は、慶長8年(1603年)江戸麹町に開創されたが、
その後、明治42年の区画整理に伴い当地に移転した寺である。

移転当時は、門前を流れる玉川上水に、春は咲く桜が清流に映え、
6月の蛍が飛び交う頃は、杉並でも指折りの名勝地であったとか。


(東京都杉並区永福、下高井戸)
0909/0911
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歩行略図
JR新宿駅南口〜下高井戸




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