紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 32

世田谷・南烏山〜給田・仙川



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世田谷


旧街道/南烏山

杉並区上高井戸から、再び世田谷区に入る。南烏山である。
上高井戸を抜けると、背後のマンションがあるのは仕方ないとしても、
如何にも旧街道筋らしい雰囲気が感じられるところである。

左の店はだるま茶屋で、右のうだつのある家も旧茶屋を想起させるような建物である。



千歳烏山駅前

京王線千歳烏山駅入口で、駅はこの信号を左折した所にある。
快速、急行の停車駅だ。

駅名は、この辺の地名が駅開設当時(大正2年)、
北多摩郡千歳村大字烏山であったからである。
開設当時は烏山駅であったが、昭和4年に現在の千歳烏山駅に変更されている。

烏山は南北朝の頃から記録に残されている地名である。
由来は不明であるが、烏の群生する森があったためであろうか。



給田
新一里塚
  南烏山から給田(きゅうでん)に入ると、右側に新一里塚の石碑があった。表面には「内藤新宿より三里、品川県」、裏面には「明治3年武蔵国多摩郡給田村」と刻まれてある。
  江戸時代の日本橋とは違い、新宿を基点とした新一里塚である。  

品川県とは、明治2年布告された「府県施政順序」により、荏原郡、豊島郡の半分と多摩郡の一部を含めた地域であったが、明治5年に品川県はなくなった。

また、給田とは、中世に荘園領主や国衙が、荘官、地頭に対して給与した田畑を言う。



仙川・大川橋

給田の外れに仙川が流れている。
仙川に架かる大川橋を渡ると、長かった東京の区部から現在の調布市に入る。

甲州街道3番目の宿場、布田五宿のあった処である。

仙川上流側
  仙川は多摩川水系の野川の支流である。仙川上流の三鷹市に新川丸池と言う遊水池があり、沢山の水が湧いていたことから千釜と呼ばれていたのが川名の由来とのことである。


(東京都世田谷区南烏山、給田)
0909/0911/1604

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歩行略図
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