紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 542
二戸市・堀野〜金田一宿


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二戸市


94金田一宿

堀野から金田一(きんたいち)までの旧道は途中で失われているので、
迂回して、馬淵川に架かる長瀬橋を渡り金田一集落に入る。

金田一集落は、旧奥州街道94番目の宿場のあったところだ。
遺跡、遺構は残されていないが、この辺あたりから宿場であったようだ。

金田一宿は、岩手県最北の宿場である。
地名の由来は諸説あるが、南部氏の祖光行の第4子が四戸氏を名乗り、
そこから金田一氏が出た説と、アイヌ語源説もあるようだ。



金田一宿・仲町

金田一宿の仲町の家並みである。
地名からして、この辺が金田一宿の中心部であったのであろう。


二戸市消防団
  街道左側にある二戸消防団第7分団第2部。ここの地名は金田一字仲町となっている。


金田一・野月

金田一宿の仲町から野月地区に入る。
この先の横断歩道のある道を左折した所に、金田一中学校のあるところだ。


金田一中学校入口
  金田一中学校入口である。金田一中学は船越山(324.7m)の東山麓にる。
  

地名としての四戸は残されていないが、
船越山東麓に四戸城(金田一城)があったようだ。

築城時期等の仔細は不明であるが、
城主は鎌倉初期、陸奥国糠部郡の地頭職として下向した南部光行の
四男宗朝を祖とする四戸氏と伝えられている。

四戸城は、天正19年(1591年)の九戸政実の乱後に廃城となった。


(二戸市金田一 上田面 荒田 八ッ長 野月)
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歩行略図
93福岡宿〜IGR斗米駅〜金田一温泉駅



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