紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 547
二戸市金田一・水梨〜小野
Hitosh
水梨・旧街道鳥居 |
共同墓地の横を通り、さらに坂を上ると、今にも朽ちそうな鳥居があった。 この先の道根山神社のものであろう。 |
道根山神社 旧道の急な旧坂を登っていくと、石段がありその上に神社があった。額柄に「道根山神社」と書かれてあった。 |
金田一にも、60歳になると山に捨てる風習があった。 家の人が、山に行って見ると捨てられた老人が死なないで、 目には沢山の蟻が付いており、目が見えなくなっていた。 家に連れて帰ったら、 「私は死んだ身だ」と言って水だけを飲み断食し、死んでいった。 それを伝え聞いた近所の人が、山の一部を切り開き、竹を四方に立て、 縄を張り小さなお堂を作った。 そして、自分が神となり村民を貧困から救ってやりたいと、 その中で断食して死んでいった。 後に、その息子が、神になった父の願いどおり、 父を埋葬したところに、三間四方のお堂を建て、 「道根山神社」として祭ったということだ。 |
道根山神社拝殿 道根山神社の拝殿は、見事な朱色であった。 |
水梨・願海庵 |
道根神社の背後の車道を挟んで、反対側にある願海庵(がんかいあん)。 寺の由来書によると、永暦元年(1160)、叡山の僧が打ち続く兵乱の京洛を嫌って遁れ、 金田一村に来て、庵を結んだのが始まりとか。 京都知恩院の直来寺で、奥州随一の別格の寺とのことだ。 |
金田一小野・旧街道 |
願海庵の横道が、旧奥州街道だ。 道の右側に二戸市が立てた「奥州街道」と書かれた道標があり、嬉しかった。 街道はこの先、下り道となり、金田一小野の集落に向かう。 |
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