紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 558
三戸町梅内〜95三戸宿
Hitosh
95三戸宿遠望 |
三戸・梅内の丘陵地を進むと、やがて下り道となる。 前方に山に囲まれた旧奥州街道95番目の宿場である三戸宿の町並みが見えてきた。 |
三戸宿入口、枡形 |
前方に、三戸宿入口の丁字路が見えてきた。 枡形になっており、右折すると三戸宿となるところだ。 手前の十字路左に東北自然歩道の案内板があり 「右 関根ノ松、左 駕籠立場 4.0km」 と書かれてあった。 |
長栄寺 三戸宿入口枡形のところにある長栄寺である。住所は三戸町同心町古間木平となっている。 慶長2年(1597年)開基。境内には南部氏27代信直の次女檜山御前の五輪塔がある。 |
95三戸宿・同心町家並 |
三戸宿入口の枡形を右折した所である。 旧奥州街道95番目の宿場・三戸宿同心町の家並みだ。 如何にも城下町らしい町名となっている。 前方の小高い山部は三戸城のあったところで、今は城山公園となっている。 三戸城は、三戸南部氏の本拠だった本三戸城(三戸郡南部町)が 16世紀前半頃消失した後、この場所に新たな本拠地とした築かれた城だ。 九戸戦争の後、三戸城主・南部信直は本拠を福岡(二戸市)に移した。 三戸城は、南部氏が盛岡に本拠を移した後、 寛永10年(1633年)廃城となっている。 |
玉岑寺 街道左側にある金光山玉岑寺(ぎょくしんじ)。この先の街道右側にある市神社の祭神となっている川村惣太郎の墓があるこことで知られている寺だ。 |
正徳年間(1711〜15年)、伝馬の費用は町民の負担で、 その賦課に耐えかねて逃亡するものもあった。 当時、三戸宿二日町の検断であった惣太郎は 藩主に直訴して捕えられたが、 その後、願は受け入れられ、町民は蘇生の思いをした。 町民は惣太郎を追慕し、 文政元年(1818年)に、ここに彼の墓を建立したとのこと。 |
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