紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 561
三戸町三戸宿・六日町〜川守田町


Hitosh



三戸町


三戸宿・六日町家並

熊原川に架かる黄金橋を渡ると、三戸宿の六日町に入る。

三戸宿は、二日町、八日町、そしてここの六日町と代わる。

月の内、2、6、8の付く日に順番に市が開かれたことになり、
賑やかな宿場であったようだ。



法泉寺山門

宿場の旧街道左側にある臨済宗法泉寺。
この寺は、南部家の菩提寺の一つだ。

南部氏27代利直の長男であったが、庶腹であったため、
当時の支城であった福岡城の城主となった南部経直の墓が残されている。

また、この山門は、三戸城搦手門を移築したもので、三戸町文化財に指定されている。
旧庫裏の建物は、三戸城の御台所の一部を移築したものであった。


毘沙門天堂
  街道左側にある毘沙門天堂。寛永8年(1631年)奉納された鰐口(わにぐち)が保存されている。
  この地は三戸城から見て北に当たるため、城の守護神として、歴代の城主から崇敬されていた。


えの坂

街道左側に連なる坂道は「えの坂」と呼ばれている。

この坂の脇に佐藤兵衛の屋敷があり、「さどべえ坂」と呼ばれていたのが、
いつの頃か省略されて「え(衛)の坂」と呼ばれるようになった。

なお、佐藤氏は、代々兵衛丹波守と称し、先祖は南部光行入国の際、
相内館の一夜堀構築の奉行を務めた家とのことだ。
田子通り16村の大肝入となり、下参郷(しもさごう)氏と称した。

三戸宿の八日町に屋敷を賜った後は、田子氏を称している。



川守田町、旧町家

三戸宿の川守田(かわもりた)町にある旧町家だ。

三戸宿は街道に沿った細長い町で
古くから三戸郡の中心の町として栄えて来た。


(三戸町 六日町、川守田町)
1205/1306

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます


前へ 目次 次へ


歩行略図
三戸宿〜三戸駅〜南部町



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system