紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 564
南部町・大向〜三戸町・川守田
Hitosh
三戸駅前通り |
青い森鉄道の三戸駅前通である。 右の建物が、昨夜宿泊した清水屋旅館だ。 旧街道は前方の山裾を左から右に通っている。 朝食を6:30にいただき、朝7:00に旅館を出立。 終日雨模様の昨日と違い、今日は朝から良い天気であった。 |
三戸町 |
三戸町川守田、旧奥州街道 |
馬淵川に架かる住谷橋を渡り、 再び南部町から三戸町の川守田に戻り、旧奥州街道に復帰する。 街道はほぼ北に向かっている。 前方の山地が三戸町と南部町の境界となっているところだ。 |
馬暦神社 |
街道左側にある馬暦(ばれき)神社。 祭神は保食神(うけもちのかみ)だ。 保食神は、日本書紀の神産みの段に登場し、一般に女神とされている。 食物神で、頭から牛馬が生まれたということから、牛や馬の神ともされている。 東日本に多い駒形神社の祭神は、馬之神として、この保食神が多いようだ。 由緒によると、享保10年(1725年)、 8代将軍吉宗がオランダ人の献上した春砂(はるしゃ)と名付けられた 名馬ペルシャ馬が、南部藩に下付された。 藩は、これを名久井岳麓の住谷野の牧に放牧し、 種馬として馬匹(ばひつ)の改良を図ったが、9歳で死んでしまった。 これを悼み、三葉の松を植え墓印としたが、 その松の枝が皆西に向かって伸びたので、 馬が母国を慕っているのだと云い、人々は馬の神として崇めるようになった。 そこで、元野馬別当の石井玉葉が、 寛保3年(1743年)に馬頭観世音を建てたのが馬暦神社の起源となった。 この碑は、外国馬に関しては日本産馬史上、最古のものである。 なお、名久井岳西側山麓に広がる住谷野の牧は、 古くから野馬生息地として知られ、南部藩時代に九牧の一つ云われていた。 |
馬暦神社拝殿 馬暦神社の鳥居と拝殿。もともとは馬頭観世音を祀ったものであったが、昭和21年に馬暦神社(その前は、馬力神社)と改称されている。 |
唐馬の碑 右側が唐馬の碑で、奉新造馬頭観世音と刻まれてある。寛保3年(1743年)に建てられたもので、唐馬(からうま)の碑と呼ばれている。唐馬は、外国産馬のことのようだ。 左側の立派な碑は、紅梅号之碑と刻まれてあった。軍馬であったのだろうか。 |
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