紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 567
南部町小向・村中~正寿寺


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南部町

若宮八幡神社拝殿
  聖寿寺館跡の南側に建っている若宮八幡神社拝殿だ。この背後が、かつての南部氏の本拠、聖寿寺館(本三戸城)があったところである。
  南部氏二代藩主實光公により、城内守護、 藩中安全の祈祷所として創建されたと伝えられている。
八幡神社石塔群
  若宮八幡神社境内にある石塔群。左より十和田山、そして風化して判りにくいがおそらく庚申塔(青面金剛)であろう。その右は明神と刻まれてあった。


南部町正寿寺・旧奥州街道

若宮八幡宮より旧奥州街道に復帰する。
この左側が、かつての南部氏の聖寿寺館のあったところだ。
南部氏宗家の、室町時代から戦国時代にかけての本拠地であった。

この道は聖寿寺館の東側の空堀跡とのことであった。

なお、聖寿寺館跡の地名は「正寿寺」で、少し紛らわしい。



聖寿寺館跡

ゆるい坂を上ると、ここで丁字路になっている。
正面ミラー下には、「重要文化座 南部利康霊屋」と書かれてあった。

その右の説明板には、南部利康(1608~1631年)は、南部氏27代利直の4男で、
幼少の頃から政務をとらされたが、24歳の若さで亡くなった。

父の利直がこれを悼み、翌年(1632年)に、
三戸郷中1年分の収納高をあててこの霊屋を建立。

桃山様式の華麗な建造物で方2間、単層入母屋造り、杮葺の建物だ(撮影禁止)。

旧街道はここで右に曲がり、すぐ左と枡形になっているところである。



正寿寺・三光寺

聖寿寺館跡の北側に建つ、福寿山三光寺山門。
往時は、南部氏の菩提寺として聖寿寺、東禅寺、三光庵があったが、
南部氏が盛岡に移った時点で、三光庵が菩提寺として残った。

境内には、南部26代信直夫妻の墓所、南部27代利直の霊屋、
前述の利直の4男利康の霊屋、南部2代実光の墓所等が残されている。


(南部町小向 舘 正寿寺)
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