紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 571
南部町・沖田面〜五戸町・手倉橋


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五戸町


沖田面、峠道

南部町沖田面(おきたおもて)宮沢の峠道を登っていくと、
五戸町の手倉橋となる。

そろそろ、峠道の頂上付近だ。
この辺の標高は、210mであった。


峰の薬師入口標識
  左側に「峰の薬師入口」と書かれた標識があった。薬師堂があるのであろうが、地図では確認出来なかった。ただ、五戸町手倉橋(てくらばし)の字名に薬師沢があるので、関連ありそうである。


手倉橋、尾根道

快適な尾根道となっている。
左側が開けて、見通しが良くなってきた。

尾根道の左側に、
「振興公社足達沢造林地、植栽面積2.81ha、財団法人青い森振興公社」
と書かれた標識があった。

安達沢は五戸町浅水の字名である。



八甲田山遠望

左側の木立の間から、雪を被った八甲田山(1584m)が見えてきた。

これからの旧奥州街道は、この八甲田山の右側(東側)を通り、
陸奥湾の野辺地に向かう。


十和田山碑
  尾根道を歩くと、左側に「十和田山碑」と書かれた標柱あった。この辺に十和田信仰の遥拝所でもあったのであろうか。
  なお、十和田湖中山半島にある十和田神社は、鎌倉時代以前から修験宗徒(山伏)の修行場として知られ、江戸時代には恐山と共に南部藩の二大霊場であった。


(南部町 沖田面、五戸町 手倉橋)
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歩行略図
南部町・沖田面〜五戸町境〜高山〜浅虫



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