紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 574
五戸町・高山〜安達ヶ原


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五戸町

高山越、旧街道

駕籠立場のあった高山を下り、旧奥州街道に復帰する。

ここから浅水までは、快適なハイキングコースとなっている。


歴史の道百選
  左側に、文化庁指定、歴史の道百選と書かれてあった。浅水まで4.3kmの下り道である。
  なお、歴史の道百選に選ばれているのは、「奥州街道―蓑ケ坂・長坂・高山越」で、具体的には、蓑ケ坂(三戸町)〜小向〜浅水〜五戸(南部町・五戸町)の間である。


高山越、旧街道

快適な旧街道を気持ち良く下って行く。

右側が開けてきた。


安達ヶ原の鬼婆
  街道左側に、安達ヶ原鬼婆伝説と書かれた標識があった。


安達ヶ原の鬼婆伝説・・・

神亀丙寅の年(726年)、紀州の僧・東光坊祐慶が、
安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、岩屋に宿を求めた。

岩屋には、一人の老婆が住んでおり、祐慶を親切そうに招き入れた老婆は、
これから薪を拾いに行くと言い、奥の部屋は決してのぞくなと言い置いて、
岩屋から出て行った。

祐慶は好奇心から奥の部屋を覗くと、
そこには人間の白骨死体が山のように積み上げられていた。

祐慶は、安達ヶ原で旅人を殺して血肉を貪り食う鬼婆の噂を思い出し、
岩屋から逃げ出した。

祐慶の逃走に気付いた老婆は、鬼婆の姿になり、猛烈な速さで追いかけてきた。
すぐ後まで迫る鬼婆、絶体絶命の祐慶は
荷物の中から如意輪観世音菩薩を取り出して、必死に経を唱えた。

すると、菩薩像が空へ舞い上がり、
光明を放ちつつ破魔の白真弓に金剛の矢をつがえて討ち、鬼婆をしとめた。
後に、この観音像は「白真弓観音」と呼ばれるようになった。

後段の件は諸説あるようだ。



安達ヶ原

安達ヶ原鬼婆伝説と書かれた標識の反対側の写真である。

手元の地形図や地図では確認できなかったが、
この辺が安達ヶ原と呼ばれていたところなのであろう。

げに、恐ろしや・・・


(五戸町 手倉橋 浅水)
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歩行略図
南部町・沖田面〜五戸町境〜高山〜浅水



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