紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 597
十和田市藤島〜奥入瀬川・御幸橋


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十和田市


藤島、国道4号線

藤島宿を抜けると正面が大きく開けてくる。
三本木原(さんぼんぎはら)で、藩政時代末期までは荒涼とした原野であった。

ただ平々たる芝原で、四方を遮るものが無かったという。
東西二日、南北は半日ほどの道程で、その間に人家も無く、
一本の樹木も見えずと記録が残されている。

広大な原野に樹木が3本しかないから、三本木と呼ばれるようになったのであろうか。



藤島、十和田湖外輪山と八甲田山

街道から左側を見ると、遠く雪を被った十和田湖外輪山と八甲田山が見える。
右のピークが八甲田山系の高田大岳(1552m)である。



奥入瀬川・御幸橋

ここで、奥入瀬川に架かる御幸橋を渡る。

御幸橋は、明治9年東北巡幸の時に初めて橋が架けられ、
御幸橋と命名されたのが始まりである。

当時の橋は、木製で三戸や八戸から人手を集め、昼夜突貫工事で仕上げた由。
源平になぞられ、紅白の旗をたてて競争させたと伝えられている。

その橋は、大正6年の暴風雨で流失、その後再建されたが、
4度に渡り水害で流された後、昭和13年にコンクリート製の橋となった。

現在の橋は昭和63年に拡幅されたものだ。



奥入瀬川上流

御幸橋より、奥入瀬川の上流を見た写真だ。

御幸橋が出来るまでは、この辺を舟で渡っていた。
木の皮の綱を張って、手繰り寄せて渡る「繰り舟」渡しであったようだ。
また、当時の川名は、相坂(おおさか、あいさか)川であった。

奥入瀬川は、十和田湖から十和田市を通り、
上北郡おいらせ町と八戸市の境界で太平洋に流入している。

上流の奥入瀬渓谷は、景勝地として有名。
私が訪問した時の写真紀行「奥入瀬渓流/遊歩道」を参考として添付する。

素晴らしい渓流であった。


御幸橋由来の碑
  橋を渡ると、左側の橋の袂に御幸橋由来の碑が立てられている。
  右側の石塔は、昭和13年に竣工した時の、御幸橋の橋名板である。  

(十和田市 藤島・中川原 相坂・下前川原)
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