紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 599
十和田市・穂波町〜稲生町


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十和田市


相坂、国道合流点

旧奥州街道は、ここで国道4号線に吸収される。


天理教三本木分教会
  十和田市穂波町に入ると、左側に一際目立つ建物がある。天理教三本木分教会だ。
  天理教は、江戸時代末期に成立した新宗教の一つで、中山みきを教祖する宗教団体である。  


穂波町、家並み

十和田市穂波の町並みである。

十和田市を南北に縦断する国道4号線沿いの地名は、
相坂から穂波町(ほなみちょう)に入り、次は稲生町(いなおいちょう)
、そして元町となっている。

稲生町、穂波町と、
如何にも稲作が出来る様になった嬉しさが感じらるれ町名となっている。

なお、ここ三本木原の開拓は、江戸時代の安政2年(1855年)、
南部藩士新渡戸傳(にとべつとう)が奥入瀬川から水を引く計画に着手し、
安政6年(1859年)に稲生川(いなおいがわ)として引水に成功し、
全くの荒地であったこの辺一体は大穀倉地帯となった。

明治43年に町制施行し、三本木町となった。
昭和30年に藤坂村、大深内村と合併して三本木市となる。
その後、昭和31年に現在の十和田市に改称された。



稲生町、新渡記念館入口

稲生町に入る。正面の大きなビルはスーパーホテル十和田だ。
その先には、今夜の宿泊を予約してあるホテルルートイン十和田である。

旧三本木市(現十和田市)には、店やホテルが多くあり、
旧街道ウォーカーにとってはオワシスのような町であった。

この先の十字路を右に曲がると、約400mで新渡戸記念館である。



東三番町

稲生町の交差点を右折して進む。
正面の木立のあるところが、新渡戸記念館のあるところだ。

右側に十和田シティホテルがあるところである。


(十和田市 相坂 穂波町 稲生町 東三番町)
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歩行略図
十和田市・藤島宿〜奥入瀬川〜十和田市街〜元町



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