紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 600
十和田市・東三番町〜太素の森
Hitosh
太素の森、大鳥居 |
旧街道より右折して、400mほど歩くと、正面に大鳥居が見えてきた。 太素の森の入口で、太素塚と書かれてあった。 太素塚は新渡戸3代の墓所である。 この鳥居は、大正10年旧三本木町民が、 荒野を美田と化して三本木町発展の基を開いた新渡戸傳翁の遺徳を顕彰するため、 永眠する太素塚の入口に建立したものだ。 現在の鳥居は、昭和43年の十勝沖地震で倒壊したため、再建されたものである。 |
新渡戸記念館 |
太素の森境内に入ると、新渡戸氏三代の銅像が、新渡戸記念館を背にして建立されている。 右手前の刀を指しているのが、南部藩士新渡戸傳で、その奥が長男・新渡戸十次郎、 そして左端が孫にあたる新渡戸稲造である。 背後の新渡戸記念館は、昭和40年に完成したものだ。 三本木原の開拓の祖新渡戸傳翁、長男十次郎氏、 十次郎氏の三男であり国際親善に活躍した農学・法学博士新渡戸稲造氏の 蔵書や遺品を永久に保存する為に建築されたものである。 |
太素塚 |
太素の森にある太素塚だ。 新渡戸氏三代の墓所となっている。 太素塚の「太素」は、 中国・朝鮮各王朝の始祖を称する廟号「太祖」からきているようだ。 あることを始めた人、始祖、元祖の意である。 |
明治天皇行在所記念碑 |
太素の森境内に、明治天皇三本木行在所記念碑が建てられてあった。 説明板によると、稲生町の旧新渡戸宅前に立てられたものを、 修復して、ここに移転したもののようだ。 |
三本木原開拓記念碑 |
太素の森の一角に、立派な三戸原開拓記念碑が建立されてあった。 新渡戸氏の三本木原の開拓を顕彰した碑である。 |
前へ | 目次 | 次へ |
TOP | 北海道 | 東 北 | 関 東 | 中 部 | 近 畿 | 中国四国 | 九州他 |