紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 621
東北町・家ノ下タ〜向平
Hitosh
歴史公園、桂月歌碑 |
日本中央の碑歴史公園内にある、大町桂月の歌碑 「よしや今 石文なくも つほの里 ますらたけをの 忍ばるる哉 大正14年5月25日 桂月」と刻まれてある。 左側には、 「七戸に下りたるは、円収師の教をうけたきことなればなり。 今一つ壷の石碑の跡を探りたればなり。 七戸より青森さして、一里半ばかり北すれば、ここなりと言ひ伝ふ」 と記されてあった。 桂月は、大正13年12月末から蔦温泉で越冬した後、この地にやってきたが、 この時は未だ石文は発見されていなかった。 |
兜太歌碑 |
歴史公園内にある金子兜太の歌碑。 「日本中央とあり 大手鞠 小手鞠 兜太」 と刻まれてある。 金子兜太(とうた)は、大正8年に埼玉県小川町で生まれた俳人で、 平成20年に文化功労者に選ばれている。 |
西行、顕昭歌碑 |
同じく、歴史公園内にある歌碑で、西行と顕昭の詠んだ歌が刻まれてある。 「みちのくの 奥ゆかしきそ おもほゆる 壷の石ぶみ 外の浜風 西行(夫木和歌抄)」 「思ひこそ 千島の奥を 隔てねど えぞかよはさぬ つぼのいしぶみ 顕昭(夫木和歌抄)」 夫木(ふぼく)和歌抄とは、鎌倉後期、延喜3年(1310年)ごろにできた 藤原長清撰の私選和歌集のことである。 |
旧奥州街道、家ノ下タ |
日本中央の碑歴史公園より、旧奥州街道に復帰する。 |
向平、旧街道 |
東北町字向平の旧奥州街道だ。 この先で、所々に旧道が残されている、車の殆ど通らない快適な道となっている。 |
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