紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 627
野辺地町・99野辺地宿
Hitosh
99野辺地宿 |
野辺地川の橋を渡ると、旧奥州街道野辺地宿に入る。 橋を渡ったこの辺が、 野辺地宿の入口であったようだ。 野辺地宿は、盛岡藩最北の湊町でもあり、 また津軽藩に対する防衛の役割を担う重要な町でもあった。 |
野辺地、下町 |
野辺地の下町バス停である。 この先で中野追分で別れた奥州街道下道と合流している。 |
野辺地、本町 |
野辺地町本町(現野辺地町字野辺地)で、 この辺が野辺地宿の中心部であった。 正面の野辺地郵便局の先の交差点辺りに高札場があった。 野辺地は、藩営の尾去沢銅山から産出される銅の積出港で、 ここから西廻り航路で大坂の銅座へ運ばれた。 また、領内の大豆、鰯〆粕や、 俵物の呼ばれる下北半島の特産品(乾しアワビ、イリコ等)の 積出港でもあり、街道の左右には大きな商家が軒を並べていたが、 今はその面影は全く感じられなかった。 |
野辺地、新町 |
野辺地宿の出口付近を左折したところで、かつての新町(現野辺地)である。 この左手に中央公民館、図書館、歴市民族資料館があり、 盛岡藩の野辺地代官所のあったところだ。 正面の森は、野辺地八幡宮である。 |
野辺地八幡宮 |
正面に野辺地八幡宮があり、街道はここで右折となっている。 野辺地宿の出口付近で、道路が枡形となっているところだ。 この辺りに、防御のための同心組丁があった。 野辺地八幡宮は、慶長3年(1598年)の創建と伝えられている。 左には野辺地警察署があり、 ここの住居表示は野辺地町字新町裏なっている。 新住居表示で新町が消えたが、 ここの新町裏が字名としてそのまま残されているのは面白い。 |
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