紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 629
野辺地町・野辺地港〜馬門通


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野辺地町

野辺地港遠見番所跡
   野辺地港の常夜燈公園の入口付近の左側に遠見番所があった。
  江戸幕府は外国との通商や交通を禁止していたことから、外国船の発見・監視するために南部藩によって設けられた施設である。


野辺地、浜町の常夜燈

浜町の常夜燈は、文政10年(1827年)、
野辺地の廻船問屋野村治三郎によって建てられた。
関西の商人橘屋吉五郎の協力を得て、海路運ばれてきたものだ。

常夜燈には、毎年3月から10月まで、夜毎灯が灯され、
公開の安全を守る燈明台として、野辺地湊に行き交う船を見守ってきた。

江戸時代に物資輸送の大動脈であった大坂と蝦夷地を結ぶ日本海航路。
野辺地湊はこの航路への盛岡藩の窓口であり、
領内の海産物、大豆、銅などを積み出す船や、塩、木綿、日用品などを積み
入港する船で賑わった。

湊には、湊役所、遠見番所、銅蔵、大豆蔵、台場(砲台)などの施設や、
廻船問屋の船荷蔵があり、船は沖合いに停泊し、
はしけ船によって船荷を運んでいた。



野辺地漁港

野辺地漁港で、背後は下北半島だ。

野辺地漁港は藩政期から南部藩の重要な交易港となっていたが、
昭和和7年に漁業組合によって整備され、
さらに、昭和44年に公共事業として整備が行なわれている。

主な陸揚魚種は、ほたてがい、うに、まなまこ、とげくりがにとのことであった。

なお、この周辺一帯は、地方港湾「野辺地港」に指定されている。



野辺港灯台

常夜燈ではなく、現在の野辺地港の入口ある灯台だ。
正しくは、野辺地港西防波堤灯台と言うようだ。



野辺地橋

野辺地港の浜町常夜燈公園より、街道に復帰する。

正面の橋が、野辺地川に架かる野辺地橋である。
江戸時代も板橋が架かっていた。

道路標識には、「直進 馬門、右 野辺地港、 左 青森」と記されてある。

この辺の地名は馬門道(まかどみち)と云い、
旧奥州街道100番目の宿場である馬門(まかど)宿へ続く道である。


(野辺地町 野辺地 馬門道)
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