紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 632
野辺地町・馬門〜柴崎


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野辺地町


馬門公民館

街道右側に、未だ新しい馬門公民館が建てられてあった。

馬門地区は、江戸時代は馬門村で、明治22年の町村制の施行により、
野辺地村、馬門村、有戸村が合併して野辺地村が発足。

そして、明治30年に町制施行している。



馬門交差点

旧街道を進むと、ここで国道4号線に吸収される。

写真は、旧道と国道4号線が合流する馬門交差点を振り返って撮影したもので、
左側の道が旧街道である。



八ノ木台地、国道4号線

国道4号線に合流して、暫く進むと、道路案内標識があり、
「青森39km 平内14km」と書かれてあった。 

平内は、黒石津軽藩最初の宿場・小湊宿のあるところだ。



柴崎、平内町境

野辺地町のはずれ柴崎に入る。
正面の標識は平内村と書かれてあり、ここが野辺地町と平内町との境界だ。

その境界の手前右側(写真右端)に、高札場と馬門番所が再現されていた。

東京・日本橋から699.9kmのポストである。
あと100mで丁度700kmの地点である。



馬門御番所と高札

街道右側に再現されている馬門御番所と高札である。

もっともこの建物は実際の御番所とは異なり、
番所風トイレとなっていた。

馬門番所は南部藩が津軽藩の藩境に設けた施設だ。

復元された高札には、手形がないと武具や火薬、人、染料、蝋などは
持ち出すことを堅く禁じる旨の覚書きが記されてあった。

津軽藩に入るには、馬門番所で許可を得てから下に降り、
南部津軽藩境塚を越えてむつ湾沿いに伸びていた奥州街道を通り、
津軽領の狩場沢番所でさらに許可を得なければならなかった。


(野辺地町 馬門 中渡 八ノ木台地 柴崎))
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