紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 634
平内町境〜狩場沢


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平内町

平内町境

津軽藩境塚より国道に復帰し、国道上の平内町境まで戻って撮影した写真。
丁度、ここが東京日本橋より700km地点であった。

南部藩津軽藩の藩境塚(はんきょうづか)が、高台ではなく、
崖下の海岸ベリに作られた理由がわかるところだ。

藩の境界を流れる二本又川(境の川)が谷川となっており、
橋を掛けない限り津軽藩から南部藩に行けない地形となっている。



平内町・狩場沢

国道4号線から左側にある狩場沢の旧道に入る。

この辺は、台地の高いところであるためか、
「てんじょう」とも呼ばれていたようだ。

この坂の手前上り口に、津軽黒石藩の狩場沢番所があったようだ。


狩場沢地蔵堂
  街道右側に、立派な祠の中に2体の地蔵尊が祀ってある。
  津軽に入ると、祠に入った一対の地蔵尊が村の入口にあり、どれも綺麗な着物を着ている。
  この地蔵尊は、真っ赤な着物を着ていた。2体の地蔵尊は、道祖神と同じ役目を担っているのであろうか。


狩場沢共同墓地

前方右側に、狩場沢の共同墓地がある。
この墓地の手前を右に下る道が、旧道であったようだ。



狩場沢小学校跡

部分的に残されていた旧道より、国道4号線に入る。
左側は、狩場沢小学校跡だ。

黒光りの石碑が建っており(写真左部)、
「平内町立狩場沢小学校創立百周年記念」と刻まれてあった。

百年も続いた小学校が、時代の流れで東小学校に統合され、
閉校となってしまった。


(平内町狩場沢 関口 堤ヶ沢 白畑)
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