紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 644
平内町・小湊代官所
Hitosh
平内町 |
小湊、浄尊寺 |
小湊宿の丁字路を右に曲がると、すぐ左側に浄尊寺がある。 真宗大谷派の寺院だ。 大谷派と言えば、本山は京都の東本願寺である。 境内には「御家中の欅」がある。 平野町指定天然記念物で、樹齢500年、樹高20mの古木だ。 この辺が津軽黒石藩の代官所跡で、武家屋敷があり御家中と呼ばれていた。 山門横には、6月の法話として 「一番いけないのは 自分なんかだめだと 思い込むことだよ 〜 のび太」 と達者な筆で書かれてあった。 |
小湊代官所跡 |
浄尊寺の北側にある小湊代官所跡だ。 安永4年(1775年)、津軽黒石藩の代官所として建てられたところだ。 平内郷は、かつては南部領であったが、天生15年(1587年)津軽領となり、 明暦2年(1656年)に津軽信英が平内郷を賜り、黒石領となっている。 左の建物は第一元町町内会の建物で、 その右の石碑には「御家中の松と欅」と刻まれてあった。 |
初代高橋竹山顕彰碑 「平内町名誉町民 初代高橋竹山、 鳥の声 風の声 川のせせらぎ 自然の音と心の躍動を 三味線に託して みちのくの大地を奏でる」 と刻まれてある。 初代高橋竹山(本名高橋定蔵)は、明治43年生まれで平成10年死亡。津軽三味線名人位となり、平内町名誉町民第2号となっている。 |
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初代高橋竹山記念碑 こちらの石碑には、 「私がくるしかった生涯のなかで 考えたことは 三味線バチに魂をいれることだけだった 〜高橋竹山」 と刻まれてあった。高橋竹山の弟子たちが生誕100年を記念して建立した記念碑である。 |
平内代官所跡地標識と畑井新吾司顕彰碑 |
同じく小湊代官所跡地に建立された石碑で、 こちら「平内町名誉町民 畑井新吾司博士顕彰碑」と刻まれてある。 畑井新吾司は、明治9年、小湊に生まれ、 明治32年渡米してシカゴ大学に入り、ペンシルバニア大教授を務めた人だ。 大正10年に帰国して東北帝大教授となり、生物学教室、浅虫臨界実験所を創設。 シロネズミの研究で大正14年に学士院賞を受けた。 ミミズ博士とも呼ばれていたようだ。 平内町名誉町民第一号に選ばれている。 |
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