紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 666
青森市・久栗坂〜野内関所
Hitosh
青森市 |
旧街道、久栗坂〜野内 |
久栗坂の川上神社より峠道を上ると、この辺が頂上付近で、 この先は下り坂となっている。 丁度、この辺の下が青い森鉄道のトンネルがあるところで、 地名も青森市久栗坂から野内に入る。 野内は、旧奥州街道102番目の宿場・野内宿のあったところである。 |
野内、ヤマモト食品 |
峠を下ると、この辺では珍しい鉄筋コンクリートの建物がある。 地元の企業のヤマモト食品である。 数の子を主原料にした加工食品の製造販売をしている会社だ。 「ねぶた漬」、「ダイヤ漬」、「数の子醤油漬」が主製品とか。 ネーミングからして、旨そうな商品名である。 ここの地名は、青森市野内字浦島となっていた。 |
野内、青い森鉄道ガード |
野内の青い森鉄道の鉄橋である。 この右側に、かつての野内駅があったところだ。 野内駅は、明治26年開業の歴史ある駅であったが、 平成23年に、ここより青森駅より1.6km先の 野内字菊川に移転してしまった。 青い森鉄道ガードの手前の橋が、貴船川に架かる橋だ。 この橋を渡ると、旧奥州街道102番目の宿場・野内宿に入る。 |
貴船川、上流側 |
橋の上より、貴船川上流を見た写真である。 大平山(563m)の西麓を源流として、 左支川と合流して陸奥湾に流入している河川だ。 正面の形と良い山は、観音山だ。 山を一巡するように、津軽三十三観音を模した三十三体の観音像が 安置されているために観音山と呼ばれるようになった。 元は「向かい山」と呼ばれていたようだ。 この下流右岸にある貴船神社は、 義経北行伝説の残されている神社である。 六ヶ所村平沼をあとにして、途中東北町石文に立ち寄った義経一行は、 目指す北海道への航海安全を祈願するために、 ここ野内にある貴船神社に参拝したと伝わっている。 |
野内番所(関所)跡 |
青い森鉄道のガードを潜ると、左側に野内番所(野内関所)跡がある。 ここは、黒石津軽藩と弘前津軽藩との境界で、津軽三関の一つであった。 三関とは、日本海側の大間越(おおまごし)、 羽州街道の碇ヶ関(いかりがせき)、そしてここ奥州街道の野内関である。 町奉行が配され、海側(右側)に弘前津軽藩、 そして山側(左側)には黒石津軽藩が番所を置いていた。 前述の貴船川沿いには、柵が巡らされ、厳重な構えであったようだ。 |
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