紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 671
青森市・合公園浦
Hitosh
青森市 |
合浦公園、旧街道 |
青森市市立総合公園・合浦(がっぽ)公園である。 この公園の中央を、 まっすぐ一直線に旧街道が走っている。 というより、この旧街道を挟んで公園化されたというのが正しいだろう。 公園が開園されたのは、明治27年である。 公園内には市営球場、庭球場、茶室「合浦亭」、屋外ステージ等も整備され、 青森市を代表する公園となっている。 |
合浦公園 |
合浦公園の敷地は17ヘクタール。 桜の本数は670本、黒松の本数は700本。 公園内には、石川啄木の歌碑、棟方志功の記念碑、工藤卓彌の碑もある。 桜の名所として知られ、青森春祭りの会場となる。 公園北側(写真前方)は海浜になっており、夏は海水浴場として賑わうとか。 |
三誉の松 |
公園中央部、旧奥州街道沿いにある「三誉の松(みよのまつ)」。 樹齢400年と言われる傘型の黒松で、市の天然記念物に指定されている。 歴代の弘前藩主が地方巡検の際に、 この松の下で酒宴を催したと伝えられている。 平成3年の台風19号(りんご台風)の時、大枝が損傷し切除したため、 往時に比べると容姿は大分損なわれているが、 それでも公園を代表する老松となっている。 |
合浦公園、日本庭園 |
さらに進むと、右側に池があり、日本庭園ができている。 合浦公園は、日本の都市公園100選に選出されている。 |
水原衛作、柿崎巳十郎銅像 |
池の畔には、公園の完成百周年を記念して、平成6年に、 合浦公園創設者である水原衛作、柿崎巳十郎のブロンズ像が建立された。 説明によると、明治13年津軽藩お抱え庭師であった水原衛作(旧姓柿崎)が、 狐狸の棲む原野の公園化を計画し、明治15年に工事に着手した。 当初は、時の県令山田秀典の応援で、寄付も大分集まったが、 明治15年、県令の急死により、募金活動も思うように伸びず、 私財を投入しての造園となったが、 明治18年に志半ばで過労により死去。 44歳であった。 その後、母の説得で兄の遺業を継いだ弟の柿崎巳十郎が、 明治27年に何とか完成させ、青森町に寄付をしたものだ。 |
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