紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 673
青森市・103青森宿


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青森市

103青森宿入口付近

堤川に架かる旭橋を渡って右斜めの道に入る。
青柳2丁目の並木通りだ。

この辺が、旧奥州街道103番目の宿場・青森宿の入口付近であった。
この先は、本町(旧大町)となるところだ。

如何にも街道筋と言える快適な道となっている。



莨町小学校

街道右側にある莨町小学校。
創立は大正11年で、現在の建物は昭和56年に建立されたもの。

なお、「莨(たばこ)町」の町名は、今は残されていない。
この辺は青柳二丁目となっている。

莨町は「多葉粉町」、「多葉香町」とも表記され、
煙草の商売が許可されたため、町名を莨町としたとのことであった。



副士幸次郎、寺山修司顕彰碑

右側に屋根に十字架を付けた、レンガ造りの立派な建物がある。
イマジン・ウエディング・グループのモルトン迎賓館青森のチャペルである。

その建物の前に、二つの顕彰碑があった。
副士幸次郎、寺山修司両氏である。

説明によるとl
副士幸次郎は、明治22年、莨町尋常小学校入学、
県立第三中学校中退し上京、詩人となる。
大正3年、詩集「l太陽の子」を出版。
民俗学の「原日本考」も著した。

寺山修司は昭和10年、弘前生まれ、野脇中学(現青森市文化会館)、
県立青森高、早稲田大孚入学。
「チェホフ祭」で短歌研究所新人賞受賞。
歌人、劇作家として活躍。



伊能忠敬宿泊地跡

さらに進むと、今度は伊能忠敬の顕彰碑が、
シャトー本町マンションの前に設置されてあった。

説明板によると、蝦夷地へ向う途中、
大町(現青森市本町5丁目)の西沢善兵衛宅に止宿。

忠敬の日記に、
「5月9日、朝六ツ、後より曇天、時々五ツ半より晴れて暮より曇る。
青森朝六ツに出立。一里十三町油川・・・・・」
と記している由。

油川は、旧奥州街道104番目の宿場・油川宿のあったところである。



本町五丁目バス停

本町5丁目の交差点だ。

この辺は、江戸時代後期は大町と呼ばれ、
有力者たちが住んでいた青森宿の中心部であった。

幕末の青森宿は、商人や港湾関係者、漁民、職人、農民などを含めて、
約3000戸までに発展していた。

今回はここで旧街道歩きを中断して、
この信号を左折したところにあるアルファホテル青森に投宿する。


(青森市 青柳 本町)
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歩行略図
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