紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 683
青森市・油川〜西田沢


Hitosh



青森市

粟島神社

油川宿の出口付近、右側に粟島神社がある。
背後は陸奥湾(青森湾)だ。

「青森市史」によると、開創は元和元年(1615年)で、
平井治左衛門が、家内安全のために建立したのが始まりとのこと。

その後廃社となっていたが、明治元年(1868年)、
村民により再興され今日に至るとのこと。

粟島神社は、淡島神(あわしまのかみ)を祭る神社で、
婦人病治癒、安産、子授け等に霊験のある神とされている。

明治の神仏分離で、
多くの粟島神社の祭神は少彦名神に置き換えられている。
当社の祭神も少彦名神となっているようだ。

なお、少彦名神は医薬の神とされている。
国造りを終えた少彦名神が、
粟島から常世の国へ渡っていったと古事記に記録されている。




西田沢・老松

油川宿の北のはずれにある粟島神社を過ぎると、
青森市西田沢地区に入る。

街道筋にある、老松だ。
この付近に保食神社がるところだ。

保食神社の扁額には「保食大神」と書かれてあった。
保食神(うけもちのかみ)は、
日本書紀の神産みの段に出てくる神様で、女神と考えられている。



西田沢八幡宮

さらに進むと、街道左側の浜田川沿いに西田沢八幡宮がある。
地名は、青森市西田沢字沖津だ。

草創年は不詳であるが、
寛永10年(1633年)に村中にて再建され、産土神として尊崇された。



浜田川河口

浜田川に架かる浜田橋より、河口を見た写真である。
左岸の標識には、「青森海岸」と書かれてあった。

この浜田川は、田沢の森(1720m)の東麓を源流とし、
ここで陸奥湾(青森湾)に流入している。




西田沢・青森海岸

「青森海岸」の標識が気になり海岸に出てみる。

写真は、北側を見たもので、
波浪の浸食を防ぐ護岸工事(緩傾斜堤)が延々と施されてあった。

この辺は、古くから高潮や冬季風浪により浸食が著しく、
50年間で激しいところでは40〜50mの浸食があり、
約百戸の家屋移転もあったところである。

なお、青森海岸は、陸奥湾に面した津軽半島の東岸を言い、
青森市、蓬田村、外ヶ浜町(旧蟹田町、旧平館村)にわたる海岸だ。

沿岸には、これから歩いていく旧松前街道(現国道280号線)、
津軽線があるところである。


(青森市 油川・大浜 浪岸)
1206/1410

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます


前へ 目次 次へ


歩行略図
青森市油川駅〜津軽宮田〜奥内駅



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system