紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 688
青森市・内真部〜左堰


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天満宮、内真部川

つがる、五所川原の分岐を過ぎると、
正面に内真部川に架かる内真部橋が見えてくる。

左には、石像の大きな清水天満宮の社標が建っているところだ。

清水天満宮は、創建年月は不詳であるが、
安政2年(1855年)の「神社微細社司由緒調書上帳」に、
寛文13年(1673年)に村中で再建したとの記録があるようだ。

祭神は当然菅原道真であるが、青森市内では珍しい神社である。



内真部川河口

内真部川河口だ。

青森県の二級水系一覧によると、
内真部川は「うちまっぺがわ」と呼ぶようだ。
なお、地名は「うちまんべ」である。

津軽半島の五所川原市境に近い源八森(353m)東麓を源流とする川で、
流路延長は4600mである。

この内真部川の上流で平野部から山中に入る北側の山麓に、
館(たて)と山城の遺跡がある。
鎌倉時代末期の文保2年(1318年)に始まった津軽大乱(安藤氏の乱)の
中心舞台となったところである。


大山祇神社
  内真部川を渡ると、左側に大山祇神社と刻まれた石造の大きな社標があった。
  津軽藩政の頃、山守の番所があったところで、山守達が守護神として建立し、山神を奉祀したのが始まりとのこと。


地蔵尊

街道沿いにの小さな祠の中に、
晴れ着を着た地蔵尊と百萬遍供養塔がある。

津軽に入ると、地蔵尊等の石仏は、
祠の中に納まり、綺麗な晴れ着を着ているものが殆どだ。

津軽の人の信仰心のあらわれのようだ。

百萬遍(ひゃくまんべん)とは、人々が円陣を組んで座り、
大きな数珠を送りながら、念仏を百万遍唱えて、
疫病退散などを祈ることである。



JR左堰駅口

ここを左に曲がるとJR津軽線の左堰(ひだりせき)駅である。
青森駅から13.1km、そして東京からは752.3kmだ。

昭和34年に開業した駅である。
所在地は青森市大字左堰字大科となっている。


(青森市 内真部 左堰)
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