紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 691
青森市・六枚橋〜後潟


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六枚橋熊野宮参道

六枚橋の熊野宮の参道を少し歩いてみた。
右側に墓地と赤い屋根のお堂があり、その前の民家は茅葺屋根の家であった、

熊野宮はこの先JR津軽線の線路を渡ったところにあった。
写真前方のこんもりとした森のあるところだ。



後潟駅口

旧街道(国道280号線、松前道)に復帰すると、
左側にJR津軽線の後潟駅口があった。

例によって、駅に立ち寄ってみる。



JR津軽線、後潟駅

JR津軽線の後潟駅舎である。
旧後潟村の中心駅だ。

昭和26年開業した駅で、青森から14.7km、
東京からは767kmの駅である。

住所は、青森市大字六枚橋字磯打だ。
無人駅であるが、駅舎があるのには驚いた。

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尻八城址入口

後潟駅を後にして、旧街道を進むと、
六枚橋市民館の前に「尻八城址自然歩道入口」と書かれた大きな標識がある。

尻八館(しりはちだて)は、尻八城、霊光城、尻幌チャシとも呼ばれていた。

寛喜2年(1230年)十三湊(とさみなと)を拠点としていた安東一族が、
アイヌのチャシを土台として尻八館を築き、
貞永元年(1232年)安倍三郎成季が納領頭役に任ぜられたという。

その後(205年後)、永亨7年(1435年)、南部義政に攻められ落城した。

尻八館は、本州最北端に本格的な山城であった。
後潟川と六枚橋川に囲まれた標高190mの擂鉢山に築かれていた。



後潟漁港口

さらに進むと、右側に後潟漁港入口がある。

昔はイワシが中心であったが、今はホタテ養殖、定置網が中心とのことであった。


(青森市 六枚橋 後潟)
1206/1412

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