紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 717
外ヶ浜町平舘・平舘灯台
Hitosh
門の沢、松並木 |
津軽国定公園区画内の快適な松並木を進むと、 右前方に平舘灯台が見え隠れしてきた。 |
平舘、台場跡 |
松並木の右側に、松の木に隠れるようにある台場跡。 弘化4年(1847年)平舘沖に、オランダの捕鯨船が碇を下ろし、 8人が上陸し、大騒ぎになった。 身振り手振りの会話で、食糧が欲しいことがわかり、 糟漬大根を与えたが、翌日彼等は再上陸し米を欲しがった。 4日後に今度は野田に上陸。 米を欲しがったが、生大根と酒を与えて返す。 その後又、平舘に上陸した彼等は、世界地図を見せてくれた。 酒を飲ますと水のように3〜4杯あおって上機嫌であった。 その時は、米と酒樽を持たせて返した由。 船には100人くらい乗っているようであった。 当時、彼らがオランダ人であることは解らなかった(後で判明)。 翌嘉永元年(1848年)、幕府の命令で西洋式の平舘台場が築かれ、 砲台が海上から見えにくいように、土塁に松が植えらた。 津軽では、深浦、鰺ヶ沢、龍飛などにも台場が築かれた。 吉田松陰がここを訪れたのは、5年後の嘉永5年(1852年)である。 松陰が攘夷と騒ぐ以前に、現実的には幕府は各地で対策を打っていた。 |
平舘灯台 |
右側に台場跡の北側に隣接するように、 平舘灯台が設置されている。 平舘海峡の要所・明神埼に位置し、 明治32年から点灯された7500カンデラ、高さ23mの平舘灯台だ。 なお、現在の実行光度は82、000カンデラとなっている。 |
明神埼、津軽海峡 |
平舘灯台のある明神埼の先端から、 津軽海峡とその先に北海道の渡島半島が望めた。 位置的にはここから真北に函館があるはずだ 今回の旧奥州街道徒歩の旅で、 初めて目にした津軽海峡と北海道である。 一寸感傷的になった。 旧街道徒歩の旅は、 九州の大宰府から、ここ津軽海峡まで到達したのである。 よくぞ、ここまで歩いてきたものだと、一人悦に入った。 |
平舘灯台、ペンションだいば |
平舘灯台のすぐ傍にあるペンションだいばである。 今夜はここに宿泊の予約をしてあった。 いかハンバーグが名物とのことである。 ペンションの主人が話好きで、 地酒を飲みながらの食事は、時間を忘れるほどであった。 ホタテを始め、陸奥湾の獲れた海の幸中心の食事が旨かった。 |
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