紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 718
外ヶ浜町平舘・太郎右エ門沢〜元宇田


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下北半島日の出、平舘・太郎右エ門沢

宿泊したペンションだいばの部屋から撮影した日の出だ。
前方の山並みは下北半島である。

さぁ、今日も良い天気であろう。

今日は、旧奥州街道の本州最終点である三厩宿まで歩く予定である。



平舘、台場跡

特別に朝早く朝食を作っていただき、朝の7:00に出発。
出かけに、朝日を浴びた平舘台場跡を撮影したものだ。

こちらの写真の方が、台場跡の状態が良くわかる。

写真左側は陸奥湾で、
今は平舘海水浴場となっているところである。



石崎沢、国道合流点

現国道280号線(松前街道、陸羽街道)と旧松前街道の合流点である。

前方は津軽海峡だ。
そして北海道の渡島半島が見えるところだ。



平舘、石崎無線中継所

旧平舘村の石崎にある無線中継所で、
通称「津軽の搭」とか「津軽コンクリートタワー」と呼ばれていたものだ。

高さ89m、幅21mの、日本一巨大なコンクリート製無線中継所跡である。

昭和53年(1978年)、
北海道と本州を結ぶ日本電信電話公社の通信拠点として完成。

平成13年(2001年)、
同区間の通信手段が光ファーバー化され、運用停止となった。

アンテナは撤去され、塔部分だけが残されている。

ここの地名は、旧平舘村の弥蔵釜(現外ヶ浜町平舘弥蔵釜)で、
江戸時代、藩に納める製塩所があったところだ。



平舘・元宇田集落

旧平舘村の元宇田地区に入る。

ここから、旧奥州街道終点の三厩までは23kmと書かれたl標識である


平舘・元宇田
  元宇田の集落に入ると左側に、日蓮宗の宇田山聞法寺(もんぽうじ)がある。
  鎌倉時代後期、法華宗の海外伝道を目的として、日蓮の弟子・日特上人は蝦夷(北海道)を目指し、平舘村石崎に到着。
  ここで、地元の漁師である蠣崎甚兵衛(かきざきじんべえ)の協力を得て、北海道に向かった。  
その礼として、海上安全と大漁祈願をして、
海上に向かって法華経読誦し船出、無事に蝦夷地に到着できたとのこと。

それを機に、今まで見たことのない魚が大量に浜辺へ寄ってきたので、
地元の漁師たちは、大いに喜び、
法華の偉い坊さんが授けてくれた魚だからと言って「ホッケ」と命名した。

ホッケは、今でも北海道から津軽沿岸にかけて春の魚として漁があるとのこと。
日特上人と、漁師・蠣崎甚兵衛の銅像が寺の入口に建立されてあった。

なお聞法寺は、安永8年(1779年)の開基であるが、
天明の飢饉の時に廃寺となり、明治13年に再興されたとのことだ。


(外ヶ浜町平舘 太郎右ェ門沢 石崎沢 弥蔵釜 元宇田)
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