紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 729
今別町袰月・鋳釜崎


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今別町、一本木漁港袰月地区全景

今別町の袰月集落を抜け、鋳釜崎(いがまさき)の坂を上ったところより、
背後を振り返った写真だ。

袰月が、天然の良港であると同時に、
山を背後にした海岸線に細長く発達した集落であることがわかる。

写真左前方が高野崎で、右が津軽山地の袴腰岳(707m)山麓である。



今別、袰月海岸鋳釜崎

鋳釜崎の先端である。

「津軽国定公園 袰月海岸 鋳釜崎」
の標識が建っていた。

前方に見える山並みは北海道の松前半島である。



吉田松陰碑

鋳釜崎には、未だ新しい吉田松陰の
「東北旅日記」記念碑(松陰顕彰碑)が建っていた。

嘉永4年(1851年)に松陰は宮部鼎蔵と共に、
江戸から140日及ぶ東北遊学の旅に出ており、
その時の記録が「東北旅日記」だ。

その中に、嘉永5年(1852年)3月、
津軽半島の三厩、今別、平舘、青森と辿った記録がある。

松陰は、当時23歳であった。



今別、鋳釜崎先端

鋳釜崎の先端から、海岸を覗いてみた。
波に洗われた磯が、丸く鋳釜のようになっている。



今別、鋳釜崎展望台

鋳釜崎の展望台である。

見晴らしの良い、広々とした広場となっている。

この辺一帯は、洗い場や水洗トイレ、照明施設もあり
フリーテントサイトとなっている。
約80張が可能とのことだ。

左の山並みが津軽半島の龍飛崎で、
右奥の山並みが北海道の松前半島である。


(今別町 袰月 大泊)
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