紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 735
今別町・今別宿〜長川
Hitosh
今別町、三厩湾 |
今別宿を抜けると右側が開けてきた。 津軽海峡を挟んで、前方の山並みは北海道の松前半島で、 写真右側には今別漁港のあるところだ。 |
今別、長川 |
今別宿の出口となっている長川の長川橋を渡る。 写真は、長川橋より上流側を見た写真である。 長川は、浜名岳(603m)東麓を源流とする川で、 ここで三厩湾に流入している。 写真正面に見える形の良い山は、品岳(446m)である。 |
今別宿辻堂 |
長川橋を渡ると右側に辻堂がある。 今別宿の出口付近で、かつての村境であったのであろう。 津軽半島では、村、集落の村境には、 必ずと言って良いほど辻堂(地蔵堂)が建っている。 道祖神の役目も担った対の地蔵尊が多かった。 |
今別町、夫婦地蔵尊 |
ここの辻堂の中には、 対の地蔵尊がお揃いの真っ赤な、未だ新しい晴着を着ていた。 今までと違い、錦の頭巾を被り、 晴着の上には真っ赤なガウンまでも着けている。 供物も新しく、今でも大事にされているようだ。 津軽では身代わり地蔵、子育て地蔵の他、 村境で悪病や災難が村に入らないように願う神の性格もある。 また、中高年の女性により各集落ごとに、 地蔵講が結成されているようだ。 村の地蔵講は、旧暦の23日に行われ、講員が集まって、 経文を唱えた後、手料理を食べながら雑談をして楽しむようだ。 その際に、地蔵尊に供物をして、 「オセンダク」と呼ぶ新しい着物を作って着せ、 地蔵の顔を化粧しなおす習俗も広く行われているとのことであった。 |
今別町 高徳山正行寺 |
旧街道左にある高徳山正行寺。 真宗大谷派の寺院である。 天和3年(1683)、釈浄閑律師によって開創されたとのこと。 元は弘前長勝寺の末寺であったようだ。 |
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