紀行写真集


旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 29

JR白坂駅〜白坂・皮籠



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陸奥・白坂

JR白坂駅
  新白河駅発7:00の東北本線で、前日中断した白坂駅まで戻った。到着したのは朝の7:05であった。
  今日も気持ち良い天気であった。旧奥州街道歩きの再開である。
三輪台
  駅前より旧奥州街道に向かって東に進んだ。 この辺は三輪台で、近くにNPO法人「アウシュヴィッツ平和博物館のあるところだ。
  ユネスコの世界遺産であるアウシュヴィッツ収容所跡を保存するポーランド国立オシフィエンチム博物館の協力の下、当時の遺品や写真、資料の常設展示を行っている。
  写真は、この先の右の木立の中に、金売り吉次の墓のあるところである。


金売吉次兄弟の墓

木立の中に三基の石塔があり、中央が吉次、左が吉内、右が吉六の
「金売吉次三兄弟の墓」と伝えられている。
石塔は白河石で作られてた宝篋院塔(ほうきょういんとう)で、製作年代は不明であるが、
製作技法の特徴から室町時代頃の建立と推定されている。
なお、石塔の石囲いは元治元年(1864年)となっている。

承安4年(1174年)、吉次兄弟が砂金を交易して、奥州平泉と京とを往来する途中、
ここで群盗に襲われ殺害された。
里人がこれを憐れみ、この地に葬り供養したと伝えられている。
この墓は白河市重要文化財(史蹟)に指定されている。

後に義経がここに立ち寄り、吉次兄弟の霊を弔い、近くの八幡宮に合祀したと伝えられている。



八幡神社(吉次八幡)
  吉次の墓の前の細い道を真っ直ぐ東に進むと、すぐ旧奥州街道(旧陸羽街道、国道294号)と交差する。
  この角に八幡神社がある。義経が吉次兄弟を合祀したと伝えられている。その為、吉次八幡とも呼ばれている様だ。
  旧奥州街道は、この八幡神社の角を左折する。この辺は皮籠(かわご)地区で、吉次が襲われ、皮籠の中の金などを奪われたことから、皮籠と呼ばれるようになったらしい。
  皮籠地区を抜け、旧街道を次の宿場・白河に向かう。

(福島県白河市白坂皮籠)
0905/0909
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歩行略図
JR白坂駅〜白河・女石追分



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