紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 36
白河・小峰城
Hitosh
JR東北本線横断地下道 白河市大手町と小峰城を遮っているJR東北本線。 今は、その線路下を通行出来る半地下道が出来ている。正しくは、「こみね・ふれあい通り地下通路」という様だ。 白河駅を下りて、左側のこの地下通路を通れば、小峰城跡に最短距離で行ける様になっている。 |
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地下道内部 地下道の内部は綺麗な空間であった。この地下通路を通り抜けると、目の前に広い城山公園(小峰城址)が広がってくる。 江戸時代にタイムスリップするトンネルとなっている。 |
城山公園・小峰城址 |
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線路を潜ると、目の前は城山公園である。 白河薔薇園(本丸跡)や、白河集古苑が出来ており、 史実に基づいた三重櫓と前御門が復元されている。広さは9.5haである。 背後には小峰城の三重櫓が顔を出している。 南北朝時代の興国元年(1340年)、結城宗弘の子親朝(ちかとも)が、 ここ小峰ヶ岡に城館を作り、子孫は小峰氏と称した。 戦国時代後期からは会津城主の領地となっている。 江戸時代の寛永4年(1627年)、丹羽長重が棚倉より10万石で入り、白河藩創設。 小峰城の大改築を行い、近世的な城郭と城下町を完成させた。 丹羽家以後は、松平定信を始め、7家21代の親藩、譜代大名が交替で入封した。 最期の城主は、文政6年(1823年)に武蔵忍より阿部正権(まさのり)が 10万石で入封し、以後8代44年在封した。 しかし慶応2年、8代目藩主阿部正靜(まさきよ)は棚倉への転封の命を受けた。 従って、戊辰戦争の時は白河城は藩主不在のままで、 奥州列藩同盟軍と新政府軍の攻防の舞台となった。 その結果、戊辰戦争で同盟軍は破れ石垣のみを残し、他は焼失してしまった。 |
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小峰城、三層櫓 |
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小峰城三層櫓は白河市制40周年を記念して、史実に基づき、平成3年に木造で復元された。 又手前側の前御門は平成6年に復元されたばかりである。 石垣は往時のもので、同心円型の珍しい石積みが各所に見られる。 写真左側の木の右上にも、同心円型の石積みが見られる。 |
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白河集古苑 |
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城山公園内にある白河集古苑は、中世に白河地方を領していた結城家と、 江戸時代の譜代大名として古河藩を治めていた阿部家の歴史的資産を 保存・展示する施設である。 建物は、城郭内にあった土蔵をイメージした平屋建ての建物で、 結城家古文書館と阿部家名品館が設けられている。 |
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