紀行写真集


旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 55

矢吹町新町〜34矢吹宿



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矢吹町

幸福寺

街道左に幸福寺がある。樹齢150年の枝垂桜が見事であった。
この境内は戊辰戦争の時、野戦病院となったようだ。
戊辰戦争時の幕府軍の戦死者の墓がある。
また本堂前には、加波山事件の小針重雄の碑と遺髪碑があった。
この小針氏は、中畑新田の庄屋の名前と同じである。恐らく一族なのであろう。

幸福寺・しあわせ観音
  左写真の左手には「しあわせ観音があった。嬉しくなるような名前のついた観音様である。

34矢吹宿

中町町並

矢吹町の中町に入る。奥州街道34番目の宿場矢吹宿の入口である。
矢吹宿は天正6年(1578年)に宿駅として開かれ、
天正18年(1590年)に町割が行われたという。

この天正18年は、秀吉が小田原城征伐を行い、奥州制圧も終り全国統一の成った年である。

矢吹町の由来は、源義家が奥州征伐の時、八幡社を造営し屋根を矢柄で葺いたことから、
「矢らい」、「矢葺」の地名になったという。



本町・町並

此の辺が本町で、矢吹宿の中心部であった。

写真は、「伊吹駅前」のバス停の前にある、なめこ壁の蔵で、
店の古い看板(写真左端)には「あいだ呉服店」と書かれてあった。



本町・大木代吉本店

木製の古い看板を掲げた大木代吉本店である。
自然郷蔵元と染め抜かれた大きな暖簾が掛かっていた。

慶応元年(1865年)、初代大木代吉により酒造業を創業。
現在も続いている造り酒屋である。
その代表銘柄の純米酒「自然郷」は、原料の米(有機農法産米)に拘った銘酒とか。


(福島県矢吹町中町、本町)
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