紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 58
鏡石町久来石〜36笠石宿
Hitosh
久来石・溜池 |
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旧来石宿を抜け、旧街道を進むと、右手が開け、大きな溜池があった。 鏡石町は溜池が多いところだ。 此の辺は、江戸時代は行方野(ゆきかたの))と呼ばれた広大な原野であった。 阿武隈川とその支流の釈迦川の間に広がる、標高270〜300mの洪積台地で 南北15km、東西8kmに及んでいる。 古くから開拓は進んでいたが、昭和31年に阿賀野川水系の鶴沼川の谷を 堰き止めて、重力式アーチダムの羽鳥湖が天栄村に造られた。 そこから羽鳥用水により、須賀川市、鏡石町、矢吹町、そして泉崎、大信の2村の 開田が実現し、今は広大な田園地帯となっている。 |
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笠石原町 |
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旧街道右側の広大な田圃である。豊作を思わせるような稲穂の波であった。 かつての原野が嘘のような光景である。 なお、この行方野は、前九年の役(天喜年間、1053〜1558年)で、 源頼義と安倍貞任、宗任兄弟が戦った古戦場であったと伝えられている。 |
熊野神社 右手の広大な田圃を見て進むと、奥州街道36番目の宿場・笠石宿に入る。その入口にあるのが、この熊野神社である。 毎年10月の秋の祭りで行われる太々神楽は、鏡石町の無形文化財に指定されている。 |
36笠石宿 |
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笠石宿の入口付近である。 往時の面影は殆ど残されていないが、 街道沿いに旧宿場らしい整然とした家並みが続いていた。 笠石地区の現在の世帯数は54で、人口は240人とのことであった。 |
寶泉寺 笠石宿の中心部に寶泉寺がある。明治6年、笠石、鏡田、久来石、成田の4村が合併して鏡石村となった。そして明治7年に、この寶泉院境内に、小学校(赤石小)が開設されたとのことであった。現在の鏡石町第一小学校の前身である。 |
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